ファイル掲載日:2026年08月07日(第一版:暫定)
ファイル更新日:2026年08月08日(C-Aの説明を一部詳細化)
ファイル更新日:2026年08月09日(第二版:[追記A]、蛇足の追加)
散文『高/低文脈文化という観念への考察』 と 散文『日本語論考』 Andil.Dimerk ※作成年:2026 **注記** ※注記:内容にはかなりラディカルな部分がある。 ※免責:筆者はいずれの専門家ではない。 ※免責:必要であると考えるならば各自での研究に任せる。 ※免責:データ参照元についての詳細な情報の記載は意図的に減らし「論文ではないこと」を客観的に認識できるようにしている。必要であると考えるならば各自での研究に任せる。 ※補記:文中の[]の中は、文章において翻訳するべきではない文字列である。 ※補記:他言語へ翻訳する場合、微細な表現が大きく消失する恐れがある。 ※補記:名詞においても、逐次的な自動翻訳などでは統一性を失う恐れがある。
- <目次>
- 前提:"高/低文脈文化"という観念への考察・補正理論
- 日本語論考:日本語の背景と構造についての散文
- 1.概観:日本語の地理的背景 ●地理・規模
- 2.構造:日本語の文法的明示性 ●機能語中心の文法
- 3.構造:日本語の言語的包括性 ●大量の外来語と基盤の共通語
- 4.構造:日本語の音韻的容易性 ●音韻の統制
- 5.概観:日本語の経済的な共有性 ●ローコスト
- 6.概観:日本語の知的再生産性 ●非ハイコスト
- 7.構造:日本語の漢字の利便性 ●高度な利便性
- 8.構造:漢字の構造性と実績 ●多民族用書記体系由来
- 9.言語法則:世界的な実証のある合理性と妥当性 ●アラビア数字とローマ字
- 10.構造:日本語の語彙における連携 ●知識の拡張性
- 11.概観:日本語の利便性に基づく困難性 ●トレードオフ
- 12.構造:日本語の明示的構造の効果 ●既知的骨組み
- 13.構造:日本語の柔軟性への評価の不均衡性 ●比較困難性
- 14.構造:日本語の丁寧な表現性 ●低文脈的構造
- 15.概観:日本語の社会的背景 ●発達経緯
- 16.構造:日本語の丁寧な表現 ●安心自体のシステム化
- 17.構造:日本語の表現的多様性 ●構造的な安全性
- 18.構造:日本語の例外的感覚性 ●オノマトペ
- 19.構造:日本語の感覚語の背景 ●オノマトペの背景
- 20.言語法則:一般的なオノマトペの有効性 ●感覚語の普遍性
- 21.構造:日本語の物理的な信頼性 ●音韻の堅牢さ
- 22.構造:日本語の表現多様性の基盤 ●略語・新語の共有
- 23.構造:日本語の堅牢な共有性 ●運用上の安全性
- 24.概観:日本語の構造性の実績 ●学習の公共性
- 25.言語法則:言語の構造的な制約の実例 ●ラテン語
- 26.言語法則:言語の物理的な性質 ●言語の大原則
- 27.言語法則:言語の運用領域 ●未知を既知にする道具
- 28.言語法則:言語体系の慣性 ●影響の重さ
- 29.言語比較:評価されない日本語の構造 ●構造的な包容力
- 30.言語比較:日本語の非例外性 ●例外化の不当性
- 31.言語比較:日本語社会の実績 ●不利の克服
- 32.概観:受け皿としての日本語 ●日本のリンガ・フランカ
- 33.概観:原文としての日本語 ●互換の非対称性
- 34.言語法則:自明な情報の確認 ●デフォルト値
- 35.言語法則:自明な情報の省略 ●デフォルト値の運用
- 36.言語法則:情報の不安定性の定義 ●評価の条件
- 37.言語法則:言葉の安定性 ●錯誤と現実
- 38.言語比較:明示されている意味の総量 ●表現方法の違い
- 39.言語比較:英語における展開の必要性 ●高難易度な解釈
- 40.言語比較:英語における運用構造 ●日常英語の中身
- 41.言語比較:音韻体系との相互的影響 ●音韻という制約
- 42.言語法則:音韻の本質的な自在性 ●情報工学的な分析
- 43.言語比較:文化的背景への本当の対応力 ●高文脈的な日常語
- 44.言語法則:表現力の算定 ●解釈の幅の違い
- 45.言語比較:概念の切り分け方の違い ●錯誤の主要因
- 46.言語法則:日本語への比較評価の不完全性 ●知性の怠慢
- 47.構造:日本語の本質的な安定性 ●実体の強さ
- 48.構造:日本語における安全性 ●安全な構造
- 49.日本語の応用の広さ ●使い勝手
- 50.日本語の"自覚的な不完全性" ●言語を信用しない
- ●あとがき
- ●追記A:与太・余談(欄外蛇足)
目次 ◆# 前提:"高/低文脈文化"という観念への考察・補正理論
本題(日本語論考)の前に。錯誤されやすい論点(高/低文脈)に対する整理であり、過去にまとめた分析の再編集版。
※内容として単独でも十分な文量で、必要な部分を整理してある。
※ただし、本来は本題のための補論である。
※後からまとめたため、本題と内容の重複する部分あり。
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目次 ◆## A.●印象論を根拠とする錯誤
前提●「言語体系・言語構造の分析」の場面で度々混入する「言語に対する"高/低文脈文化"自体を根拠とする分析」は"偏見や錯誤の強い見解"で、全く適さない。その偏見は「魚は泳ぐ習慣があるから水中で暮らしてる」と説明するような"尤もらしい錯誤"である(※"泳ぐ習慣"は仕組みの説明にならない)。
前提●"高/低文脈文化"の観念は大本が「印象に基づく傾向の分類」であり、その対象は「言語活動で表出している行動傾向の印象」であり、本来"言語構造の由来"の論説ではない。例えるなら"肉食/草食/雑食"(※消化器官の差)のような構造側の分類ではなく、"夜行性/昼行性"にも近い行動の分類である。
前提●また言動上の"高/低文脈"とは主に「言語運用上の"コスト/リスク"の調整」を中核として説明できる。あらゆる文化の人間の行動原理として「リスクが小さいなら省力化(≒空白型の高文脈の現象)/リスクが大きいなら対策(≒低文脈的な作法)」の傾向があり、人間は状況に応じて運用を調整している。
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目次 ◆### A-A.●言語活動にかかわる普遍的な行動原理
前提●理論上は、もしも「確実に情報共有を成立させること」だけであれば、あらゆる情報の細密な言語化が最も堅実である。しかし「言語化自体に相応の労力と時間がかかり、また受け手側にとっても情報の確認には労力と時間がかかる」。そして、人間は生活の中で言語活動だけをしているわけではない。
前提●言語活動自体は「目的のために必要な情報の共有≒"目的のための環境構築"」であり、そこに無限の労力を費やすことには妥当性が無い。省力化しても"目的へ必要十分"なら共有は成功するため、合理的な省力化が目指される。そして、必要十分とは「相手に不足した情報の共有・理解の成立」である。
前提●しかし省力化をしすぎると、相手が理解できなくなり"必要な情報共有"に失敗してしまい、失敗ではリカバリーのために追加の労力が相応に発生してしまう。そのため「想定される失敗のリスクや対応コストが大きい状況ほど、"明示する情報を増やす"低文脈的な作法を強めて対応する」と整理できる。
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目次 ◆### A-B.●原義に基づく「文脈という情報源」の工学的な設定
前提●「高/低文脈」とは、原義から工学的に「意図の理解における言語的に非明示な"文脈"への依存度」と明確化できる。ただし"文脈"を含む環境情報とは、工学的に「あらゆる情報が散在する通常は未ソートの情報群」であり、適切な情報の引用には"十分な手掛かり"に基づく絞り込みが必須である。
前提●「高/低文脈性」とは工学的に「理解における言語的に非明示な"文脈"への依存度≒言語体系やそこで確定する情報を除く、言語情報以外に基づく情報から"補完・修正する推論の規模と検索範囲"」と整理でき、「低文脈性」は"推論の幅と補完の量"の小ささ、「高文脈性」はその大きさとなる。
前提●意思疎通の成功条件とは、構造的に「相手側が意図を"言葉と環境の情報からの絞り込みと復元"ができること」である。そのために手がかりになる"十分な情報"、つまり"復元性または検索性"の高さが不可欠である。つまり「むしろ高文脈でこそ、(文脈の前に)言葉の的確性が工学的に必需となる」。
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目次 ◆#### A-B-A.●"高/低文脈性"の状態と視点
前提●"高/低文脈性"の本質的な性質とは「意図に対する解釈のブレ幅」であり、その規模はグラデーションがあり、「厳密過ぎる低文脈(過剰負荷)/細密な強い低文脈(高負荷)/"高確率で一意"な弱い低文脈(自明な指示語など)/簡単にわかる少し高文脈(候補のある指示語など)/強い高文脈(高負荷)」などとなる。
前提●"主観的な文脈性"と"客観的な文脈性"は別物であり、「主観的に極めて高い推論が必要で、解釈のブレる可能性が高い」状態でも「客観的には一意である」場合がある。その混同は「低文脈の極致を求める学術論文を"読みにくいから"高文脈と呼ぶ」「慣れない言語は高文脈」などの錯誤を生む。
前提●"主観と客観"における食い違いの発生する典型的な題材が「解答方法が限定されているタイプの模範的なテスト問題」である。そのタイプのテスト問題の模範性には原則「客観的な解釈・解答が確実に一意であること」が大前提であるため"低文脈性の構造"を持つが、解答自体には推論を要する。
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目次 ◆### A-C.●人間の行動原理に基づく「高/低文脈の恒常化」の条件
前提●"高文脈の解釈"の中には「言葉が曖昧だから、言葉を減らして文脈に頼る」という想像もあるが、それは「明確な情報が少ないから情報を減らす」という"破滅的な情報運用"の想定で、論理的に行きつく先は"明確な手掛かり無しに判断させる≒事実上ランダムな選択"で、工学的には安定化できない。
前提●人間の行動原理上「"成功の期待できないリスク行為"を恒常的に実施すること」は一般化できない。つまり"成功の経験"が相応にあるからこそ、その行動の恒常性≒習慣化が成立するもので、即ち"高文脈な運用"の一般的な習慣化には「最小でも十分に機能する言葉≒的確な言葉」が必然的に存在する。
前提●一方で「低文脈性」は、送受信双方が"大量の言語情報処理という過剰労働=リソースの浪費を強いられる"状態であり、人間の行動原理上、その必要性が認められなければ抑制される非積極性の方法である。つまり"高文脈な運用ができない"環境条件が無ければ、低文脈の恒常化≒習慣化も成立しない。
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目次 ◆## B.●地域性が生じさせる要素Xへの整理
前提●人間の行動として「状況に応じて、状況に適していると想定した"高/低文脈性"が選択される」という前提において、そこに「印象論が生じるほどの日常的な水準での地域的な傾向が観察された」事実を説明するには、地域ごとに、一般的・日常的な水準へ影響する、要素Xの存在が想定される。
前提●従来の推論では"共同体の安定性・親密性"を中心に説明されるが、その小さいスケールを「"広い地域"の傾向」へ一般化するには「低文脈な地域では全共同体が恒常的に不安定」という非現実的な条件を必要で、また実際の各地域の多様な共同体なども無視しており、"広い地域"の説明には使えない。
前提●観察傾向は主に"広い地域"ごとの傾向で、その傾向を生み出す要素Xは「日常的かつ広範囲に安定して同様の影響」が想定される。広さには「地域の歴史的な安定性」も考察されやすいが、それは"日常から遠因すぎる"上に「南欧の歴史的な不安定さ・北欧の歴史的な安定性と傾向」とも整合しない。
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目次 ◆### B-A.●地域性が生じさせる要素Xの捜索
前提●「地域性を生じさせる要素X」として、要因として「教育体制やメディアなど情報共有構造の充実性」も想定しやすいが、"社会の情報流通/共有の規模で低文脈または高文脈の傾向が生じる"と仮定する場合、どちらも先進的な高度産業社会の"ドイツと日本"の典型的とも評される傾向差を説明できない。
前提●要素Xは、そもそも「高/低文脈の概念が、どこで観察された事象か」を考えれば、非常に有力な候補を推察できる。「言語活動において観察される高/低文脈」に対して「最も直接的かつ極めて地域性の強い要素」とは"使用言語"であり、"言語体系こそが環境条件の要素X"だと工学的に導出される。
前提●情報工学的に、言語体系では言語ごとに"物理的および情報的な構造"に細かい違いが見られ、それは構造的に「"言語環境"として情報伝達の堅牢さ・安全性へ影響を与える」ため、結果"端的な表現での失敗率"を左右させて、"人間の行動原理上の、環境条件の違いの一種になる"。(決定論ではない)
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目次 ◆### B-B.●要素Xの工学的な分解
前提●情報工学として「最小の信号列だけで伝達が成功する」には、「使われている信号自体の強固さ」が不可欠である。つまり「容易かつ安全に、必要な情報が伝達されやすい環境」があるからこそ、端的な運用をしても実効性が保たれやすく、常態化でき、【その様子が観察されやすい】と整理できる。
前提●情報工学として、もしも「信号自体が不安定で信用できない」という環境条件を改善できない場合は、安定した処理の実現には「信号の運用を工夫して、信号の内容を補正・復元できるようにする」運用を必要とする。つまり「冗長な運用が常態化」しやすく、そして【その様子が観察されやすい】。
前提●この情報工学の運用原則は「"言語"という通信方法」にも適応される。「省略的な傾向と見られる言語環境」も、「省略的な傾向が乏しいと見られる言語環境」も、同様の運用から説明できる。要するに「省略の失敗率の高い言語環境ほど、低文脈な作法が増加・習慣化しやすい」と予測される。
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目次 ◆### B-C.●決定論として成立しない理由
注記●この補正理論は「人間が"状況へ対応する"行動原理に基づいて、臨機応変に行動を変えること」を基本原則として採用し、従来の推論が陥りがちな「文化決定論」を否定しているのと同時に、理論上「言語決定論」としても成立しない。("決定論"として読むことは、条件を無視した恣意的な誤読である)
注記●この補正理論の"言語が影響する"因果とは「"運用されている道具"が環境条件として影響し、人間は利便性や課題に対応して、妥当な運用が平均的に導かれやすい」という一般的な行動原理に基づいた表出の分析である。例えるなら"水辺が漁を強制する"のではなく"水辺を利用して漁が可能になる"。
注記●また同時に「(高/低文脈などのように)"言語の運用に関する事象"において、使用されている言語の構造体系がその環境条件になること」も除外することが不可能な、物理的に不可避な条件である。●そして、言語の詳細な構造体系が、言語ごとに異なることは明らかに観察されている事実である。
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目次 ◆## C.●音韻:言語の最もクリティカルな違い
前提●言語における情報の堅牢さとは、多様な要素が複合的に影響しあうと説明するべきであるが、しかし「文化性」と解釈されるような「"日常的な言語運用"の領域へ最も大きな影響を及ぼす"情報の堅牢さ"の基底要素」には、"会話の根底・土台"に存在する物理的な「音韻体系・発音体系」を提示できる。
前提●工学的な整理として「音韻・発音の体系」とは"通信信号の規格"であり、信号の送信/受信が成立していなければ、その後の処理も実行できない。●人間の発声器官は出力できる音声に物理的な限界範囲があるため、数学的・幾何学的に"分類が細かいほど音同士の近似性が増えやすい"と整理できる。
前提●さらに言語運用の本番環境は「静寂・近接・平穏」などの理想条件ではなく、言語ではさらに「不安定な個体差」までも複合する。そして情報工学的に「わずかなブレで異なる信号に変異する信号は"不安定な信号"」に分類でき、つまり「音韻の分類の細かさは代表的かつ基本的な不安定要素になる」。
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目次 ◆### C-A.●音韻:発音と音韻
前提●情報工学的に、厳密には「実際に使われる発音と認識の安定性」こそが、運用の安全性を左右する。音韻の分類数が細かくても明晰な発音体系であれば安全性は高めに維持されると予想できる。しかし、多くの人間が使う"平均的な安定性"において、音韻の分類数は"代理変数"として有効な指標となる。
前提●ただし音素の"母音"と"子音"では性質が異なり、母音の分類は"連続する空間の分割"で「母音の分割数は直接的に近似する音韻規模を左右する」が、子音の分類は"エフェクトの種類"に相当し「子音の種類は"同系統の音素同士"が強い近似音になり、種類が多いと強い近似対を回避できなくなる」。
前提●「音素の分類数」は"母音数+子音数"の合算数で説明されるが、厳密には母音と子音は"物理的に異なるレイヤー"で、詳細な考察には分別する必要性がある。●また運用上、単母音分類/子音連続/音節単位の明瞭さ/アクセントなどの"発音体系"で、実際の"使いやすさ・聞き取りやすさ"は細かく変わる。
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目次 ◆### C-B.●音韻:情報工学的な分解
前提●音韻分類数に対する考察では「音韻の分類数が少ないと、組み合わせパターンが少なくなり、表現力が低下する(はず)」という論理を見かけやすいが、それは"数学的な短絡"であって工学ではない。工学的には「音韻の分類が少ないほど安全性を上げやすく、長い音列も使いやすくなる」と言える。
前提●反対に、数学的には「音韻の分類数が多いほど、組み合わせパターンも膨大となり、表現力は劇的に向上する(はず)」と予想されるが、実際は「近似する音列や発音は混同や失敗の危険性が増える」という工学的な課題が生じるため、実用される組み合わせパターンは期待値の内の一部に留まる。
前提●なお情報工学において、信号自体が不安定な場合、識別性を高める工夫が必要とされる。つまり音韻分類が細かいほど工学的に"運用上の工夫の必要性が高まる"と予想され、特に「情報列(文法)の法則化」の他、「送信する信号列を増やして、復元性を高める手法」で実用性を保全すると予想できる。
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目次 ◆#### C-B-A.●音韻:発音の複雑性に対する個体差の課題と補正
前提●発音体系の分析に対しては「細かい発音を使う言語ほど、発音への努力が強まる」という予想は当然として見られるが、しかし人間は全員が常に完璧な動作を均質に実行し続けられるわけではない。人間工学上、"複雑な発音"を求めるほど、万全ではない状況における機能不全の危険性が増える。
前提●発音の個体差・状態差として「音声の物理的な分布地図」にはズレがあり、既知の分布から外れた相手には"音声を聞き続けて音声分布を把握する必要性"が生じる。そして工学的・数学的に「分類が多いほど、分布把握に必要なサンプル数が増える」ため、シンプルな分類ほど容易に適応しやすい。
前提●工学的に「長い音列を使うほど、多層的に手がかりが増えて復元性が高まりやすい」。音の分類が少ない言語では、工学的に情報の細密化の際には長い音列を必要とし、それ自体が音声の識別性も高める。一方、音の細かい言語でも音声の識別性を安定させるには、長い音列が基本として要請される。
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目次 ◆### C-C.●音韻:同音語という課題における準同音語というバグ
前提●他にも、数学的に「音韻の分類が少ない言語では、組み合わせパターンの少なさから、短い語での"明確な同音異義語"が増加しやすい」と考察されるが、工学的に「音韻の分類が細かい言語では、音の近似しやすさから、"音の近似する語=明確ではない準同音語"が増えやすい」と整理できる。
前提●また、情報工学的な観点として「明確な同音異義語」は"明らかな問題・既知のエラー"として認知されているため、混乱する場合には積極的に対処されて、問題は容易に解消される。一方で、"明確ではない準同音語"の課題は"分かりにくいバグ"で、その問題は「個人のミス」として扱われやすい。
前提●「明確な同音異義語」は「明らかに必要なタイミングで必要に応じた説明をすれば十分機能する」が、「明確ではない準同音語」は「不明なタイミングで発生する」という"地雷"であり、社会的に「付随させた情報から補正しやすい状態≒低文脈な作法」が標準として要求されやすいと予想できる。
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目次 ◆### C-D.●音韻:言語の違い
前提●そして、これらの「音韻の分類数に基づく予想」は、実際に「印象論としてまとめられた高/低文脈文化の分類」と(完全ではないが)有意な一致性を確認できる。厳密には、実際の音列構成や発音体系、文法体系や語彙体系、また言語的な社会環境も影響するが、音韻からでも有意な傾向が見られる。
前提●大本の"高/低文脈文化"の印象論で、典型的な低文脈文化とされたドイツ語圏のドイツ語は非常に細かい音韻と発音体系を持つ言語で、英語も細かい音韻体系を持つ。反対に、典型的な高文脈文化とされた日本語圏の日本語は傑出してシンプルな音韻体系の言語であるなど、"有意な一致性"がある。
前提●さらに従来推論の"地域の歴史的安定性≒高文脈性"とは矛盾していた「(歴史的に不安定寄りの)南欧が高文脈:イタリア語/スペイン語はやや単純な発音系」や「(南欧より安定した)スカンジナビアが低文脈:ノルウェー語/スウェーデン語はやや複雑な発音系」の分類も、音韻からは適切に予測できる。
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目次 ◆### C-E.●音韻:例外の解決
注記●ただし発音体系から考察する理論における音韻の分類数は"代理変数"であって決定要因そのものではない。厳密には「実際の発音による伝達の安定性・安全性」が重要な影響を及ぼし、「音韻・発音の安全性やその他要素を含めて、日常会話などの失敗率が変動し、行動に傾向が見られる」と予想する。
注記●例えば北欧フィンランドは「やや高文脈文化とされやすい地域なのに、フィンランド語の音素分類の合計数ではやや多い」が、その詳細は「子音の分類は少なめ」でさらに音列/音韻/発音体系も比較的"分かりやすい"運用をする言語である。そのため"日常的な失敗率"が工学的に低いと予想できる。
注記●また、実際の細かい「高/低文脈の言動」自体は、あくまでも「状況依存で選択的に変化する行為」である。コスト/リスクなどのバランスから「高いリスクに対して低文脈な作法を選ぶ」「過剰な労力に対して空白型の高文脈な現象が生じる」と整理でき、言語構造はそれを駆動する1要因に過ぎない。
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目次 ◆## D.●構造:言語の情報的な違い
前提●日常的な言語運用には「発音体系・音韻体系」が物理的な基底として影響を及ぼすが、情報的な基盤として「語彙体系」や「文法体系」なども当然として、運用の違いに影響を及ぼすことになる。ただし"発音体系における音韻の分類数"のような代理変数は無いため、単純な分析はできない。
前提●比較的、分かりやすい影響のある構造として「"文法形式による制約"、語順などの拘束が強い言語」は端的な表現が制限される。特に「"語の役割の指定"において、明示的な標識が少なく、語順上の暗示に依存する」場合、文法の構成要素の欠落は"言葉の意味が確定していない"不全状態に陥る。
前提●しかし、その「形式の制約/拘束が強い言語」では表現の制約が強い代わりに、その拘束の強さに応じて「構造的な予測可能性によって、"物理的な音声の識別性"にも大きく寄与する」構造性を持ち、これは情報工学的にも"出現パターンの限定化によって、言葉の復元可能性が高まる"と説明できる。
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目次 ◆### D-A.●構造:言語機能による補正能力の必然性
前提●人間の言語機能は「推測できる場合に、情報の不全性を意識的に修正できる知性」だけではなく、その前に「予測できる場合、音声の不全を"無意識"的に修正する認知機能」を有する。これにより「客観的に"不安定な発音"でも、話者たちの自認上は"十分に安定している"と感じる事象」も発生する。
前提●言語機能の「予測性の基づく音声の補正」は、音声による意思疎通の有効性を支えている一方で、しかし「実際の音声と、予測が食い違いながらニアミスする」事例において、無自覚に"予測を優先する危険性"が潜在している。そして「予測構造への依存度が高い言語」ほど、その危険性が高い。
前提●言語認識における「予測構造への依存度」は、"音声認識の補助の必要性"即ち「発音の堅牢さ/繊細さ」によって左右される。要するに「形式の拘束が強さ」は"繊細な発音体系の実効性を支える"効力を持ち、同時に「繊細な発音体系ほど、パターンの限定化が社会的にも要請される」互助関係にある。
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目次 ◆### D-B.●構造:表現の自在性
前提●「予測構造へ強く依存している言語」では、特に「不完全な文法」は単に言葉の意味が不完全な状態となるだけではなく、その前段階の「どの単語なのか」さえ信用しづらくなる。その依存度では"不完全な文法の表現"が「予め共有された予測可能な定型的な表現などでしか使いにくくなる」と言える。
前提●対照的に、「発音が堅牢で、物理的な音声を信頼できる言語」では、予測構造への依存度が低くなる。言語機能は原則的に予測をするため"軽くなる"までだが、物理的な音の安全性が高いほど「(日常水準では)形式性の強化・表現パターンの限定化の必要性が弱く、社会的にも要求されにくい」。
前提●これらの"人間の行動原理"と"情報工学"に基づく予想は、実際の言語運用で見られる傾向を、工学的に説明できる。特に「発音の安全性が低い英語で社会一般の水準から強固な形式性が共有・実用される傾向」と「発音が堅牢な日本語の日常水準の自由すぎる表現傾向」を、同法則上で解釈できる。
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目次 ◆## E.●工学的分析に基づく高/低文脈の補正理論
前提●ここで再構成された高/低文脈に関する補正理論は、根本的な「人間の行動に関する基礎的な理論・一般性の強い行動原理」と、物理的に回避不可能な「情報工学における情報運用の原則・基礎的な理論」に基づいて導き出せる、"凡庸な予想"である。"本質的に影響する理論を、統合しただけ"である。
前提●なお、この"凡庸な予想"が当然の理解になっていない理由とは、そもそも「高/低文脈文化」において観察・考察した事象が「社会一般における"言語"の主な使われ方」であるにも関わらず、その要因の考察を「"言語"の分析」ではなく、表層的に見えている「文化的特徴」へ求めたことに始まる。
前提●「高/低文脈文化」の"一般的な考察"では、"多種多様な要因に基づいて表層的の生まれる結果"であるはずの「文化的特徴」を「主要因」として扱い、後続研究までもその転倒から抜け出せずに"文化の分析"を踏襲し続け、「言語活動の成立する仕組み」の理解は依然として進まないままである。
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目次 ◆### E-A.●言語分析における歪み
補記●言語を強い因子とする仮定が回避される背景には「言語決定論の回避」という事情もあり、"言語が言動を左右する理論"が闇雲に忌避されていると整理できる。ただし、この補正理論は「言語は工学的な"安定性・失敗率"を左右するだけで、"行動"はその適応として間接的に生じる」と整理している。
補記●また「言語への情報工学的な理論に基づく推論」が弱い背景には「英語の分析での"心理的な不都合性"」も想定でき、「英語は、情報工学的に(非直感的だが)安全性が低い構造を運用の工夫で維持している」と解釈できるが、その視点は"劣性を指摘する批判"と錯誤され拒絶されやすいと理解できる。
補記●現代英語は「発音の統制を妥協し"音韻の不全"を許容しつつ、実用可能性には"形式の強い統制"での運用パターンの共通化によって"発音が大きくズレても推測できたら言葉を復元可能"な構造」という"極端な特化型"のはずが、度々"中庸な基準"に据えられ、言語の比較評価を無自覚に歪ませている。
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目次 ◆### E-B.●理論値と実体
補記●なお、実際の比較言語学などの研究では「多くの言語の比較において、会話の情報効率・時間当たりの情報量では、調査言語全てで極めて近似する傾向がある」と報告されている。つまり「繊細な発音体系は物理的なリスクに対して、明確に有意な効率性は実証されていない」と説明せざるをえない。
補記●繊細な発音体系は、安易に「より多くの音韻を区別できることによって数学的に組み合わせ数が増えることで端的な表現力も増えて、合理性を高めている」と想像・説明されやすいが、実際のその組み合わせで"表現の短縮"が有意に実現されているわけではなく、十分な音列の長さで運用されている。
補記●つまり繊細な発音体系は"習得・運用の工学的なコスト・リスクに対して、相対的な運用メリットが目立たない"と説明される。特に、それは「国際的な地位の英語」にとって"極めて不都合な理屈"であり、論理的に可能だった洞察が長らく普及しない中、情報効率などの研究実証が先行し始めている。
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目次 ◆#### E-B-A.●"工学的な常識"の正当化に対する回り道
補記●特に、事実上の国際共通語である"英語"では、その複雑な発音体系が"名目的な合理性"によって正当化され、またその工学的なコストやリスクも「広く実用できているのだから妥当な構造である」とされ、その負担や問題への疑義は"合理性の否定"であるかのように、安易に軽視・無視されてきた。
補記●現代の情報技術の発達により、膨大な言語データや大規模な調査に基づく比較研究を可能となったことで"基本的な効率性の均質さ"などが明らかにされている。しかし「工学的な理論」に基づいていれば、"冗長性の要求規模"などは、2000年以降の実証研究を待たずとも十分に説明できたと言える。
補記●つまり科学理論の潮流として、「現代に実証された言語比較上のデータ」とは"驚愕すべき新奇な事実を示すデータ"としてではなく、"工学的に予測された傾向の具体的な実証データ"として受け止めることも不可能ではなかった。しかし現実は「実証データが工学的な常識を正当化する」形になった。
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目次 ◆### E-C.●日常水準の高/低文脈性へ影響する情報工学的知見と予測
補記●"Claude E. Shannon, 1948"は情報工学の"ノイズ環境下での冗長性(推測可能性を支える予備情報)の重要性"を示した情報技術の基幹的な理論であり、また"Shannon, 1951"で"英語テキストの高い冗長性の存在"も数学的に説明している。また"Fazlollah M. Reza, 1961"がそれらを詳細化している。
補記●他にも、"George Kingsley Zipf, 1930-1949"(ジップの法則)・"Brevity Law"(ブレヴィティの法則)は言語運用を整理した基幹の理論であり、それをShannonの理論を兼ねて数学的に整理した"Benoît Mandelbrot, 1953-1960"(ジップ・マンデルブロの法則)など、"言語の効率化"への整理もあった。
補記●人間の行動原理では"Kahneman & Tversky, 1979"(Prospect Theory)などの理論が"人が失敗を回避しようとする傾向"を示す。●音声も"Flanagan, Schroeder, Atal, 1950-1980"などの分析を広げれば「発音体系の工学的安全性(ノイズ耐性)」を"音声の物理的特徴の幾何学的分析"で予測可能と言える。
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目次 ◆### E-D.●補記:発音体系における"アクセント"
補記●なお、発音体系の詳細として、発音の情報は純粋な「音素」だけではなく、多くの言語において「"発音に変化を加えることで、物理的な情報レイヤーを増やす"アクセント」が運用されている。ただし言語ごとにアクセント体系(強弱/長短/高低)や運用法が異なり一律な比較は不可能である。
補記●例えば「強弱/強勢型」では音の強さを変化させて"目印を作る"形で発音され、「強勢の音から索引する」推論手法を成立させ、言葉の推測性を高める。しかし、これは弱い音素の重要度(≒聞き取る必要性)を低下させるため、"弱化/消失"も誘因しやすく、"音素の不全"を引き起こす事例もある。
補記●一方「高低/音程型」では"音列へ音程を載せて変化させていく"必要性から、"土台の1音"が維持されやすい。"音程の変化"は物理的に強固で比較的ノイズに強い傾向があり、さらに情報へ"レイヤーを追加する"形のため「音素が不鮮明でも、文脈と"音の数と音程"から言葉を推測できる事例もある」。
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目次 ◆## F.●従来理論から派生して想像された仮説の根拠の喪失
想定●「"文化が言語の構造を形成した"仮説」は見られるが、その解釈は「高/低文脈の行動原理」と「発音体系の妥当性」に不整合があり、一般化ができない。特に「低文脈」とは、元の印象論でも"他者との誤解のリスクが大きい状況"で見られる傾向のはずで、"安全性を求める傾向"のはずである。
想定●人間の行動原理上「誤解リスクが大きい状況で安全を目指すこと」が低文脈の発生条件と整理できるが、もしも「文化的に"安全性を高める"傾向」が"発音を形成した"とするなら、"安全性を高めるはず"と予想される。だが、実際に観察される"低文脈文化が用いる言語"では「繊細な発音体系」が存在する。
想定●さらに"繊細な発音体系は情報の密度を高める"といった抗弁も、「構造を複雑化させるほど運用上のミスや誤認の危険性を引き上げるリスク」を無視しており、「単純な音韻でも音列を伸ばせば堅実に情報量を増やせる」という安全な手法に"逆らう形"で発音を複雑化させた想定になり、一貫性が無い。
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目次 ◆### F-A.●想像された仮説の一般性の喪失
想定●"文化が言語を"仮説では、反対に「文化的な親密性・均質性から"省力的である"高文脈な傾向」なら発音体系も"高密度で短く運用できる構造を強める"と予想しやすく、特に"親密な文化"なら「情報密度のために発音を細かくしても運用・維持されやすいはず」であり、複雑化への指向が想定される。
想定●だがしかし、実際に観察される"高文脈文化が用いる言語"では、「シンプルな発音体系」が存在する。●結局、"文化が言語を"仮説では、典型的な事例とされた「複雑な発音体系を持つドイツ語の低文脈性」を説明できず、同時に「典型的な高文脈文化とされた日本語の音韻の単純さ」も無視している。
想定●つまり「観察される"文化傾向"が一方的に"言語体系を形成した"とする因果関係」の"文化が言語を"仮説は、「確認されている代表的な事例ですら整合的に説明することができない」ほど"現象に対する論理的な一貫性"が乏しく、即ち「理論としての"一般性(普遍性)"が極めて弱い」と整理される。
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目次 ◆### F-B.●変数としてのパワーバランス
補足●そもそも「言語の構造」とは急激な変化が抑制される、変動率の鈍い変数である。表層的な「言語の運用・語彙」は柔軟に活用される変動率の高い変数であるが、それを支える"言語の法則性"や"音韻"は、急速に変化すると"言語全体の可用性を損なう"ため、基本的には変化の緩やかな構造体である。
補足●また「文化性」として観察される"生活活動・暮らし方"は、"社会環境などの変化の影響を受けやすく、短期的な変化もありえる"、また"多様性を含む"変動率の高い変数である。構造的な関係性において「柔軟な変数が、制約の強い鈍重な変数を規定する」という理屈は、"一般性"が成立しづらい。
補足●非常に強い「環境の変化」という環境要因が"言語へ影響を与えること"はあっても、それは"文化性"を経由する現象ではなく、それほど強い環境要因は、文化性自体にも強い影響を及ぼす、上位の強い変数である。「言語が"文化傾向を観察させる"因果」の理論を逆転させる抗弁は、成立していない。
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目次 ◆### F-C.●音韻・発音体系の形成について
補足●なお「音韻体系・発音体系がどのように形成されるのか?」という疑問は、言語の歴史を探る学問において研究される項目である。説明した補正理論は「既に形成され、共有された言語という"環境条件"に基づいて、どのような行動傾向が発生しやすいか」であり、言語構造の形成はその論外である。
補足●しかし「必需の条件」の論点では重大な推察ができる。"繊細な発音体系"は工学的に、その識別や運用のために緊密な言語運用が必要であり、それが体系として確立した環境は「緊密な言語運用をできていた安定環境であった」ことが強く推定される。そして、そこに"低文脈性"は、必須条件ではない。
補足●反対に、"発音体系の単純化"を導く背景とは、情報工学的に「繊細な信号が実用不可能な環境下で、実用できる一部の信号へ限定化していく判断」が強く推定される。つまり「多様な話者の間での"細かい発音の運用リスク・共有コスト"の回避」と推測できる。そして、そこに"高文脈性"は存在しない。
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目次 ◆#### F-C-A.●発音体系の形成について推測の補足A・単純化の成立
補足●「英語は歴史的に仏語との言語接触の歴史を持ちながら発音体系が単純化していない」という疑義は、その詳細の理解が不十分である。特に、歴史的な"英語圏でのフランス語の運用"とは「支配階級を中心とする限定的な運用」で、一般庶民は"俗語"を使っていたとされ、"発音の混乱"は説明されない。
補足●また"現代英語"での事情は、近代以降は文明の変化によって言語の環境条件が大きく変わっている。特に音声の記録媒体や放送によって発音を共有しやすく"規範的な発音"が固定化されやすくなり、記録から"他地域の話者も学習しやすい"ことから、現代英語は発音の複雑性を大きく維持できている。
補足●接触の影響が推定しやすい事例は「南欧の言語環境」で、地中海を介して異なる地域・言語の話者との交流が盛んな地域だったと推定できる。特にスペイン地域では歴史的に「"アラビア語社会"自体の流入」までも存在するなど、言語な混乱が想定でき"現代スペイン語の発音の単純さ"も説明できる。
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目次 ◆#### F-C-B.●発音体系の形成について推測の補足B・堅牢さという発展
補足●異なる言語を持った複数の民族が入り乱れた"中国大陸"における広域の中国語において、「環境的には単純化に指向しやすいはずが、それほどシンプルな発音体系になっていないのではないか」という疑義については、「物理的な共有性」という観点での中国語の特性を見落としている。
補足●まず現代中国語は文字体系を基準に「原則1音節単位」で発音されており、実質"発音単位の単純化"が成立している。●また複雑だと疑義されやすい「声調」も、"物理的な信号強度"の観点ではむしろ"音素単体より明確な違い"であり、特に"四声"は工学的に認識性が高く、"物理的に分かりやすい"。
補足●中国語は「繊細な複雑性を縮小させた"物理的に堅牢な構造"」で、広域言語としての信号の安定化を実現していると説明できる。●なお「音程(ピッチ)の高低アクセント/声調音韻」は"物理的に明晰な違い"を使っているが、それを常用していない英語話者などには認識が難しく"曖昧"と錯誤されやすい。
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目次 ◆#### F-D.●補記:頑強な発音体系の事例
補記●"日本語"の発音体系は、工学的に極めて堅牢であると整理できる。●基本の音韻が傑出してシンプルな分類であり、しかも"変異"をかなり許容する。特に「子音・母音を分割しない音韻体系」で、「母音の欠落は"些末な差異"で、基礎的な音韻として母音を含む特定の音韻と等価な扱い」となる。
補記●日本語では大きな音韻の変化さえも整理している。特に日本語では「無声音/有声音(清音/濁音)」を"同カテゴリの別音韻"として扱ったり、"近接する音韻への変異"が理解不能となりにくい。●「母音に対応する長音化」の現象は"長音の音韻"として処理し、元が異なってもほぼ同音として理解する。
補記●日本語の標準的な発音ではその堅牢な音韻を、さらに識別1音単位を守ってテンポよく明瞭に発音し、音韻を確実に聞き取らせる。●さらに「高低アクセント」を補助的に使い、同アクセント地域での識別機能を高めながらも、中核にはせず、異なるアクセント地域との理解可能性も守られている。
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目次 ◆#### F-D-A.●補記:頑強さに基づく省力
補記●日本語の発音体系は、シンプルな音韻体系の中で「多少ブレても物理的に区別が守られやすい音韻」なおかつ「ブレ自体を引き起こしにくい、容易に調音できる発音」が中核となっている。それにより、異なる話者の間で区別が安定しやすく、また多くの話者にとって発声もしやすい体系を持つ。
補記●日本語の標準的な発音体系には、"舌を大きく動かす"/"唇と歯を合わせる"などのような大きい動きが無く、基本の音韻全てが"コンパクトな動き"だけで調音し、その中で区別が安定している。発音が極めて省力的で、それが高速な発音も可能とし、また状態が悪くとも安定した発音を維持しやすい。
補記●さらに日本語では、文法体系が"柔軟かつ強靭な構造"で、構造と音韻に基づいて「的確な情報だけを送ること」も容易である。不足・不全があっても、会話環境なら必要な情報を必要な分だけ的確に再送信しやすく、"運用上の安全性"が高い。●それらが「省略的に見える傾向」を観察させる。
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目次 ◆## G.●蛇足:高文脈性という概念の本質的な広さ
補足★蛇足として、「高文脈性」とは「判断において言語的に明示されていない"文脈"への依存度の高さ」を示す表現だが、これは一般的に直感される省略などの形・この理論でも主に説明した「省略などに基づく"空白型の高文脈的現象"」だけではなく、"混濁型の高文脈的現象"の存在を提起できる。
補足★"高文脈"でも「明示されていない情報を"文脈から情報を補完する必要がある空白型"」以外に、「明示された情報だけで解釈しても意図と食い違う、本来の語義と異なる意図で用いる表現である極端な比喩や皮肉、反語などの、"文脈から解釈を推測する必要がある混濁型"」が別系統として存在する。
補足★情報工学的に考察してきた通り「空白型は、言語構造から省略自体が難しくて運用しづらい場合もある」が、一方で「混濁型は、省略しづらい言語であっても"比喩/皮肉/反語"は可能である」ため、"混濁型"は言語にあまり左右されず広く見られる。同じ高文脈でも、これらは区別するべきである。
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目次 ◆## H.●注記:「従来の解釈からの乖離」の正当性
注記●この補正理論に対して「従来の解釈(もしくは直感)から外れすぎている」などの感想は想定できるが、しかし整理した内容とは「従来の解釈の矛盾や不十分性に対する、抽象的かつ工学的な整理」であり、そこにおける"高/低文脈"の定義条件や分類傾向も、大本の論説におおよそ基づいている。
注記●この補正理論は「大本の"高/低文脈文化"の論説で整理されている地域ごとの観察傾向や、それに基づく"言動の定義"」について、"否定をしていない"。むしろ、大本の論説における高/低文脈性の原理を明晰化し、また大本の論説における観察傾向をより高精度に予測して説明できる構造を持つ。
注記●この補正理論は「考察対象へ関連する範囲の【一般的な諸原則・諸法則】に照らし合わせ、実体への予測性を高めた考察」であり、大本の観察とも一貫性がある。この考察の"不当性"を論じるには「対象への法則の非関連性・適応方法の不適切性の議論」、または「一般原則自体への疑義」を必要とする。
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目次 ◆## 1.概観:日本語の地理的背景 ●地理・規模
日本語社会に対しては、もはや一般的なほど「民族的な均質性」などによって"日本語を広く運用できている"などと説明されやすい。しかし実際の日本の言語環境は歴史的に均質さであったとは言い難い。現代においても、標準語からの理解可能性の乏しい「方言」が残存している事実がある。
まして現代日本における共通語としての標準語が、近代化に際して整備されて普及するよりも前の段階においては、多様な方言・多彩な言葉が各地に根付いており、都市部であればそれらの方言が入り乱れるような環境で、「言葉が異なる」「言葉が通じない」といった話は、度々記録されている。
日本という地域は本州の長さだけで約1500km(直線約1200km)とされ、さらに九州・四国・北海道・その他離島を持つ島国である。例えばイギリスのブリテン島は長さ約1200km、イタリアの長さも1200kmほど、これらの地域では"深い方言"や"別言語"が存在しており、言語的に分岐しやすい規模と言える。
日本は、ただ長いだけではなく平地以外の居住区は山岳や河川によって、居住区が細かく分断されている地理を持つ。水域に囲まれていても外海での航海も容易ではなく、広域での活発な交流が困難であった。こうした地理的背景から、日本地域では非常に多様な生活言語、方言が大量発生していた。
そのように言語的な分断が必然的に発生する日本地域だが、しかし、そんな地域において「広域の協力関係を成立させる勢力が、非常に有利であった」と考察でき、日本地域での広域の言語では歴史的に「多様な言葉を持つ人々の間で、実用できること」が極めて重大に求められたと推察できる。
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目次 ◆## 2.構造:日本語の文法的明示性 ●機能語中心の文法
現代日本語にも見られる構造的な特徴として、「任意に明示することもできる機能語(各種の助詞/述語パーツ)を骨組みとする、明示性の確保を可能とする文法」を持つ。この文法体系は「非常に柔軟かつ強靭な構造性」であり、しかも、この構造は『古事記』などの古代日本の言語記録の中にも観察できる。
日本語の「明示的な機能語を骨組みとする文法構造」の特徴には、「言葉が細かいパーツ単位で安定する」「パーツ単位で安定することで語順の自由度が高い」などの性質を持つが、最たる特徴は「未知の語があっても、未知の語のみが分からない状態を成立させやすい」という性質を提示できる。
例えば、構造的に極めて対照的な英語は、明示できる機能語が限定的で、「語順の位置によって暗示される関係」を解読する必要があり、もしも長い言葉に未知の語が挟まった場合「その語がどのように係るのか」が分かりにくく、言葉の関係が不明になると言葉全体の理解が怪しくなる危険性が生じる。
共通語としての日本語では、言語の基礎的な文法構造として明示的な機能語によって「未知の言葉も運用できること」を保障していると整理できる。もちろん日常水準の日本語では機能語の省略も多いため「任意に明示可能な機能語」の扱いになるが、共通語水準では「明示される機能語」である。
日本語では未知の言葉があっても、明示された機能語があれば「どの役割の言葉であるのか」を推察できることも多い。例えば[XがYをZする]も、ほぼ確実に主体X・対象Y・行為Zとして識別できる。これはつまり、自然な会話でも新しい言葉が円滑に共有されやすい構造とも説明できる。
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目次 ◆## 3.構造:日本語の言語的包括性 ●大量の外来語と基盤の共通語
日本語の構造の「新しい言葉の受容性の強さ」の実証としては「漢語の日本語化」を提示できる。外来の知識体系を背景とした膨大な語彙を、日常的な水準から自然と日常的な語彙と併用することを可能としている。また現代では、大量の外来語に由来するカタカナ語の運用も同じ構造に基づいて使われる。
日本語の構造では、究極的な説明として「あらゆる地域のあらゆる言語のあらゆる語彙をも、容易に日本語化して、それを日本語の語彙パーツとして日本語の文法法則の中において直感的に扱うことも可能」としている。特に日本語の機能語(各種助詞/述語パーツ)は、あらゆる対応語へと直感的に実用できる。
日本地域での広域の言語では特に「多様な言葉を持つ人々の間で実用できる構造性」を強化・堅持してきたと推察することができ、現代の日本語も、近代化に際して「多様な地域の出身者が入り乱れていた"山の手言葉"」を基盤として、共通日本語としての標準語を整備していったと説明することができる。
日本では古来から都市部ほど「多様な人々の間で使われる言語」が形成されており、特に現代の日本語では「言語的背景が多様な人々の間で使われることを目的とした言語体系」として整備された体系と説明できる。実証として、日本の共通語としての標準語は整備からたった100年ほどで全地域に定着した。
日本の標準語は当初、制度的に「標準語への言語統一」までも目指されたものの、実態として達成せず、現代では「共通語としての標準語」と、各地の生活言語としての方言が併存する言語環境となっている。しかし、多様な方言が残りながらも、標準語を介した意思疎通は極めて効果的に機能している。
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目次 ◆## 4.構造:日本語の音韻的容易性 ●音韻の統制
自然言語としては本来「同じ言語・同じ言葉でも、異なる地域では方言によって理解が難しくなる」現象が当然のようにある。だが、現代の日本語は地理的に十分な大きさと、1億人超の話者を有する言語でありながら、「共通語を使えば、ほとんどの地域出身者同士で、瞬時に安定した意思疎通ができる」。
現代の日本語環境は「日本語の共通語を介せば、出身地に左右されず、ほとんどの日本語話者と会話できる」ほどの安定した言語環境を成立させている。それはまるで「民族的な均質性」によって安定しているようにも錯覚されやすいが、実態は出身国に限定されず、基礎的な意思疎通を容易としている。
「日本語の共有性の高さ」における最も大きな要素には「音韻のシンプルさ」を提示できる。日本語は大規模に実用されている言語の中では、傑出してシンプルな音韻体系として整備されている言語である。日本語は「話者ならほぼ誰でも、"基礎的な発音(音節)の全て"を体系的に明示できる」ほどである。
日本語環境では、多様な方言の現存を確認でき、また非常に深い訛りの例も存在するにもかかわらず、しかし発音への認知として「基礎的な音韻の感覚」では、異なる訛りの話者も含めて高度に一致した環境を成立させており、"音韻の違う発音"になっても聞こえる音を基準として一致した認知をされやすい。
そうした音韻の識別において高度な統制の実現している日本語環境では、通常「聞こえる音韻に基づいて認知・分類すること」を容易にしている。そして、出力においても"基本的な発音で構成された言葉"であれば、"ほぼ全ての話者"が最低限、必要な発音を即時かつ安定して発声できる環境が成立している。
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目次 ◆## 5.概観:日本語の経済的な共有性 ●ローコスト
「日本の言語基盤に基づく共有性の高さ」については、その大きな実証の一つとして、「制度教育が整備されるより前から、民間で庶民への基礎教育が普及し始めていた」という点を上げられる。これはつまり「庶民水準で実現可能なほど、基礎教育がローコストで可能であったこと」の証左と言える。
もしも"知識の共有のための教育や学習が高コスト"であった場合、"教師役になること"自体が難しく、さらに指導における教師役の負担も大きくなる。そうした条件で教育を受けるには、潤沢な資本背景が必要であり、庶民には手の届きにくい高価なものとなり、国家的な支援を必要とすると考察できる。
しかし日本地域では「社会が不安定な時代でも、外交や統治など実務上の有益さから知識層が徐々に広がって」おり、「社会が安定した頃には、広く存在する知識層が生業の一種として、庶民への基礎教育を実施する」という経済活動が各地で成立したと整理できる。これは高コストでは実現しえない。
「本質的なローコストさ」の利点は現代でも当然として機能している。日本地域は現在1億人規模かつ十分に広く散逸した居住区を膨大に抱える地理でありながら、制度教育によって基礎教育を"安定的に"ほぼ全員へと普及させる環境を成立させている。特に「教育の再生産」が非常に安定している。
しかも日本の制度教育では通常、「主要4科目(国語/数学/社会/理科)」以外の教科の時間も潤沢に用意され、"知識の継承"だけではない"文化的な教育"が一般的に実施されている。しかし、主要科目以外を多く実施しながら、国際的な教育成果の調査においてトップクラスの水準を維持している。
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目次 ◆## 6.概観:日本語の知的再生産性 ●非ハイコスト
比較的高い成果を出している日本の制度教育では、国際的な比較において、劇的に長大な時間が費やされているわけではなく、特に国語教育においても膨大な時間を要求しているわけでもない。また教育費用においても極端に過大な投資をしているわけでもなく、「平均前後で高い成果を成立させている」。
もしも「日本語がハイコストな言語だ」という予想を成立させようとする場合、日本の制度教育において"教育全体でも国語学習だけでも、極端な時間を費やしていない"という実態との整合性を組み立てることが要求される。それを成立させうる仮定は「民族的な傑出した優秀さ」という幻想しかない。
しかし、日本に対する空想上の「民族的な傑出した優秀さ」という仮定は「英語に対する一般的な不得意さ」によって反証される。国際的な比較において、日本の英語習得の水準は「最も低いカテゴリ」にある。極めて安定した教育体制が成立し、成果を出している中で"英語"だけは有意に低いのである。
日本語話者にとって「英語はハイコスト」であり、その克服には極めて長大な時間が必要になり、制度教育においてそれを成立させるには、教育体制をひっくり返すような非現実的な労力を必要とする。実態として、英語学習は"個人の自主的な学習"へ極端に強く依存せざるをえないと説明できる。
もっと言えば「英語の習熟自体が国際的に見てもハイコスト」であるとさえ説明できる。特に読み書きにおいては、英語の母語話者ですら基礎能力の習得に2~3年単位の準備期間を必要とするが、日本語社会の基礎教育では1年目の開始時点で簡単な書籍として教科書を複数、子供に所有・実用させる。
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目次 ◆## 7.構造:日本語の漢字の利便性 ●高度な利便性
日本語でも「漢字は多様で複雑な形状で、その学習は制度教育上9年間に渡って少しずつ進めていく」負担を説明されやすいが、意味の文字を使わない言語でも新しい言葉の習得で「各単語ごとに文字列の長さに応じた学習の負担」は存在する。一方、漢字は"コンパクトで転用しやすい利便性"を有する。
また日本語では「漢字に読み方が多数ある」が、日本語では明晰な「かな文字」に基づいて発音を明示できる。かな文字は通常「1字1発音」で"文字の名前と読み方が通常同一"であり、例外読みも限定的に整備されている。かな文字の基礎読解は通常、制度教育開始時点~遅くとも半年弱で習得される。
日本の基礎教育の順序として、"漢字"の習得は「主に既知の単語へ、意味のレイヤーとして上乗せすること」を中心として学習を始める。漢字は本質的に多様な概念を効率よく区別するための「意味の表札」であって「音韻を決定する文字」ではないため、英語の文字ほどの認知上の混乱は生じにくい。
日本語の、言語体系と文字体系における「音韻のレイヤーとは区別して、意味のレイヤーのための文字を中核的に運用する」方式は極めて稀な構造であり、「過剰に複雑な体系」として推察されやすい。しかし実態として、ほとんどの母語話者は、教育過程の中で基礎的な範囲の習得をほぼ達成する。
また「音韻のレイヤーと意味のレイヤー」が構造的に分離されていることで、初歩的な書記やフォールバックとして「意味レイヤーで書けなくても暫定的に音韻レイヤーで書くこと」が可能であり、また読解でも「音韻のレイヤーが分からずとも、意味のレイヤーが分かれば概要の理解を支えられる」。
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目次 ◆## 8.構造:漢字の構造性と実績 ●多民族用書記体系由来
なお、漢字は根本的に「複数の言語圏にまたがる広い地域で運用すること」を主目的として整備された文字体系である。漢字が整備された中国大陸では、多様な民族が併存しており、異なる言語が現代においても併存している。そこで「記録体系を共通化」するために広く共有されたのが、漢字である。
漢字体系は、意味を中心として形状を構築・整理しており、パーツの連携で細かい理解を広げやすい構造を持つ。また、通常発音自体を表さないことで、異なる言語間で概念の呼び方が異なっていたとしても、同じ文字がほぼ同じ意味を保証することで、多言語を含む広域での情報共有を可能とした。
さらに現代以前では「同じ言語でも長い時間が経つと発音自体の変質が珍しくない」問題があり、例えば表音文字での書記の歴史が長い欧州地域では、同じ言語内でも古い文書は表現が異なり、連続性が弱いことが見られる。一方、漢字では古代の文書でも概念から比較的推察しやすい持続性を持つ。
特に、中国大陸では王朝・中核となる民族自体が度々代わっており、中心的に使われる発音体系・言語自体が変化していながら、同じ漢字が使われ続けていることによって、人間が使っていた言語の連続性が乏しいにもかかわらず、文書記録上の連続性が完全ではないものの、非常に大きく維持されている。
ただし漢字でも「同時代,同地域,同場面で多数の読み方を併用する事例」は例外的な傾向があり、しかし日本語では「表音文字での音レイヤーの分離と明確化」によって発音を管理できるようになり、「1地域の中で多数の読み方の併用を常態化」を成立させながら、社会的に広い運用を実現している。
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目次 ◆## 9.言語法則:世界的な実証のある合理性と妥当性 ●アラビア数字とローマ字
なお「文字に多数の読み方がある」という実態について、その不合理性を語ることは、全く現実に則していない。その理屈は、現代で「アラビア数字」が広く実用されており、それもアラビア数字の並びや補記に基づいて読み方を柔軟に変える方式が世界的に使われている実証への疑義とほぼ同義である。
例えばアラビア数字の実用において、[1=One]に対して[11]は通常同じ音の繰り返し[One-One]ではなく、正式には別々の表現語を組み合わせて言い表される。英語であれば[10]と[11]と[12]でも通常大きく異なる読み方[Ten,Eleven,Twelve]になる。また英語で[1st]は、[Onest]ではなく、[First]と読む。
他にも、アラビア数字への「正式な読み/慣例読みの二重性」の事例として、例えば[2026]は正式な英語で[Two Thousand Twenty-Six]と読むが、慣例読みでは[Twenty Twenty-Six]で一般的に通じる。他にも[one eighty]は[1, 80]よりも[100+80: 180: One hundred eighty]として解釈される。
また、そもそも「文字に対する読み方の多重性」という論点で言えば、「ローマ字アルファベット」そのものが「文字の名前と、通常発音の二重性」を抱えている。なおかつ、英語に至っては「字と音の不一致」という問題までも抱えている状態にある。だが、それらは現実に、極めて広く実用されている。
アルファベットの二重性はより少ない記号で多彩に表音するための合理性として説明できるが、英語に関しては「書記上の安定性と口語の慣例を両立させる運用上の"つぎはぎ"構造であり、しかし明らかな混乱があり、学習者はその不整合を克服するためだけに過大な労力を強いられる」と説明できる。
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目次 ◆## 10.構造:日本語の語彙における連携 ●知識の拡張性
日本語の漢字の読み方の多様さとは主に、運用上の柔軟性や利便性に基づいた多様性である。非常に大きな効果として「日常的な口語の語彙にも、漢字を割り当てることが許容されることによって、日常的な語彙から、発展的に高度な語彙の学習へと接続していくことを可能とする」合理性を持つ。
日本語では「日常的な語彙の漢字を学んでいく段階から、徐々に発展的な語彙の基盤が形成されていき、発展的な学習が累進的に効率化されていく」と説明できる。そして、実態として、現代の日本語環境においては、ごく当たり前に「漢字構成の単語」も日常的にも多数併用する環境が成立している。
例えば現代英語では「日常的な語彙」と「専門的な語彙」の間には、語根としての連続性が極めて乏しい。英語では母語話者でも専門的な語彙を「完全に新しい言葉を1から学ぶ」状態になる。また英語の慣習に至っては「異なる水準・異なる領域の語彙を併用することは好まれず、やや併用されにくい」。
つまり英語では「専門用語を使う場合、"高度な語彙で形成された別言語"を操る状態」が求められると説明できる。一方で、日本語では「高度に形式的な書記」において専門的な語彙を限定化することはあっても、それ以外の場面では"伝える"ためなら「あらゆる語彙層」を柔軟かつ積極的に併用する。
重要なのは「伝わると期待できるからこそ使われる」という当然の前提である。日本語では、日常的にも多様な表現が使われているが、これは、それだけ多様な表現が伝わりうることを期待できる環境を成立させているからであり、多くの人が多くの表現を知っているという前提が存在しているのである。
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目次 ◆## 11.概観:日本語の利便性に基づく困難性 ●トレードオフ
日本語において多様な表現が実用されていることについても「民族的な均質性」の幻想や、あるいは「日本語社会は、教育体制が充実するほど成功した社会であるから、多くの言葉が伝わるんだ」と転倒して考察されやすく、「言葉を含む、多様な情報の共有性の高さ」の可能性は中々言及されない。
「一般的な水準でも多様な表現を実用できる」という現象そのものは、根本的な「表現の共有性の高さ」によって説明できる。前提として、日常的な水準からより多くの表現を認知でき、理解しやすい状態でなければ、多様な表現が現実的に実用される環境は成立しがたいと説明されるべきである。
日本語は、「新しい言葉を覚える労力・コスト」が極めて低い。発音の点だけでも、音韻が極めて明快かつシンプルで、ほとんどの話者が一致した音韻を実用し、よほど特殊な事例でなければ、新しい言葉を瞬時に理解し、発音できる。また"かな文字"で音韻を明示できることで、文字からも共有しやすい。
日本語は、文法構造においても、丁寧な文章であれば明示される機能語に基づいて、未知の語でもカテゴリを容易に推察でき、どのように使われる語であるのかを即座に理解しやすい。新しい言葉に遭遇しても、その使われ方に基づいて言葉を覚えやすく、シンプルな発音体系を含め、すぐに実用ができる。
「日本語の難しさ」を形成している大きな要因として、「日常的に実用する母語話者たちにとっての"使いやすさ"ゆえに、実用される表現が大量に山積してしまい、必要とされる学習量が格段に膨張してしまっている」側面を論じることができる。つまり「便利すぎるために大変」だと説明できる。
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目次 ◆## 12.構造:日本語の明示的構造の効果 ●既知的骨組み
英語の暗示的な構造性は「互いに分かっている範囲における確認」では効率的な構造性とも考察できるが、しかし英語文法は"未知"が並ぶと読解そのものが不可能になるため、「相手の分からない範囲を教える場合」は"既知で包む"ために、極めて慎重かつ断片的に組み立てる必要性があると考察できる。
まして"配慮無しに整理された英語文"ともなれば、「知らない単語に対して、全ての語を調べ、その意味と用法を確認し、文の構成においてどのように解釈されるかを読解する」という手順を経なければ「文の概要すら読み取りづらい」と推察できる。ゼロから理解するまでの道のりは非常に長い。
日本語体系では、形式的な表現では原則"明示的な機能語に基づく構造性"を丁寧に組むことで「分からない語が複数使われていても既に"既知の構造で各語が包まれている"ため、文法の読解に困る事例は限定的になる」。その上、文書であれば「文字レイヤー」の表現を用いて、読解をさらに補助しやすい。
日本語体系では構造上、「文法構造の明示性を高い形式にできる」ために、整理された文章であれば難しい表現が並んだとしても、おおよその概要を掴みやすく、また「知らない単語を調べる時」にも一連の文に対して"未知"を穴埋めするだけの作業で読解できるため、「理解を進めやすい」と推察できる。
日本語に対しては、日常水準で「自明だと判断される範囲」の機能語も積極的に省略する他、また雑な運用では機能語の運用も最小限となって理解に困る事例も珍しくないために、「不安定な体系」とも説明をされやすいが、日本語では文の欠落に対する修正や確認も、容易かつ安全にできる。
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目次 ◆## 13.構造:日本語の柔軟性への評価の不均衡性 ●比較困難性
日本語の体系的な側面に対する評価は、非常に不均衡なものとなりやすい。日本語において「実用されている表現のバリエーション」に対して、これを評価することは難しい。例えば「実用される"内容語"の情報量」という点だけでは、語順の操作による実用上の効果を勘案することはできない。
特に、構造的に対照的な英語は「非常に形式性の固い"語順に基づく暗示的構造"によって、最小の語数で実用される必要な表現を形成することを可能とする」が、これを標準とする場合、「語順の操作」や「表現の細かい操作」で得られる効果を、度外視して評価する状態へと陥りやすいと推察できる。
例えば、日本語では体系上、標準的に「文法の中で社会的な情報を明示する構造」を持つ。対人的な場面であれば「自他の立場の認識」を言語上の表明が必須であり、そのために多様な一人称と二人称が存在し、実用することを可能としているが、そうした部分は対外的に"冗長"と評されやすい。
しかし日本語の「一人称・二人称」の多様性と柔軟性は、一切の情報を運ばないわけではなく、「社会的な立場の認知」を開示させることで、対人関係における状況判断のための情報として機能している。他言語でそうした"相手の社会的な立場の認識"の情報を得るには、大部分を暗黙な情報へ依存する。
そうして特定の言語特有の「細かい語彙の運用」については、比較言語学において、比較困難な要素として度外視されやすいと推察できる。比較をしようとしても「多くの言語では扱われにくい情報を扱っている場合、それを"比較すること"そのものが困難または不可能」という物理的な問題がある。
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目次 ◆## 14.構造:日本語の丁寧な表現性 ●低文脈的構造
日本語では、単純な一人称・二人称だけではなく、その他の表現の選択においても常に「社会的な情報」が常用されている。日本語の言語体系の中では、体系として標準の一部として扱われている情報であるため、「フラットな表現」でさえも「極度に中立な社会的立場」という社会的な情報が付与される。
他言語では、日本語ほど社会的な情報を濃密に明示できる構造を持たないことが多いために、比較自体が不可能な場合もあり、言語の比較において極めて軽視されやすい。だがしかし、人間が使うあらゆる言語は「人々の間で社会的に運用される」ために、そこに"社会性"は必ず要求されると言える。
典型例として、英語は比較的"社会的な情報"が弱いために"フラットな関係性を標準とする言語"であるかのようにも説明されやすいが、英語であっても社会的に実用される「礼節の表現」や「失礼な表現」は存在している。例えば沈黙の要求には[Shut up!]だけではなく、状況次第で[Be quiet.]などを使う。
特に日本語の場合は、"丁寧な表現"である「敬語」の中に、大きな操作となる「尊敬語/謙譲語」などの体系とは別に、比較的フラットで弱い操作として「丁寧語」という「社会的に安全な距離を成立させるための体系」が存在し、コンパクトに標準的な"丁寧な表現"を形成することを可能としている。
日本語の文化は「情報が省略されやすい高文脈的な文化」であるかのように説明されやすいが、細部においては「社会的な情報が、言語上で常に提示・演算される言語」であり、社会的な情報の明示性においてはむしろ、他言語と比較できなくとも、容易かつ露骨に明示される言語体系を持つと説明できる。
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目次 ◆## 15.概観:日本語の社会的背景 ●発達経緯
日本語に社会的情報が多いこと、特に一人称や二人称の運用の多様さについては安易に「階級社会の文化の名残」などとして説明されることも多いが、しかし事実として「階級社会の歴史」自体は世界中多くの地域で存在するものの、そうした地域の言語で階級差を示す表現は、それほど発達していない。
日本語の言語体系における社会的な情報の多さの由来に対する、妥当な推論とは「極めて多様な人間と関わる社会環境」の方が論理的にも整合させやすい。つまり「知らない相手と会話する際に、自らの立場や認識を表明し、適切な心理的距離を形成する必要性が社会的な要請として生じる」と推察できる。
日本社会は、閉鎖的な島国という地理から「閉鎖的で固定された集団を中心として生活している」ように推察されやすいが、しかし実態として、都市部など人が集まる地域ほど、古来から極めて多様な人々が入り乱れる社会環境を持っている。「全ての人が、ほぼあらゆる相手と遭遇する可能性がある」。
「他の身分層も入り乱れる過密な人口密集地で、日々よく知らない相手とも関わらなければならない」という社会環境であれば、「より明示的に、安全な対人関係を形成するための手段」が発達させることは、極めて自然な現象だと推論できる。特に「自分の立場の表明」は必需だと想定できる。
日本社会は「安定的かつ均質な文化だから見知らぬ相手とも信頼関係を築き易い」かのようにも説明されやすいが、その本質は"日本語の柔軟性"から「より明示的な社会性の開示によって、認識の不和による衝突を最小化し、心理的な安全性を形成できることで、安定した交流が可能」だと説明できる。
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目次 ◆## 16.構造:日本語の丁寧な表現 ●安心自体のシステム化
日本語では、社会的な情報を明示しやすく、さらに、現代では極めてコンパクトに最低限丁寧な表現へと挿げ替えるパーツとして「丁寧語」の「ですます調」などを実用できる。日本語環境では、こうした構造性による明示的な情報に基づいて、「社会的な安心感」を容易に形成することができる。
しかし他の言語において「丁寧な表現のためだけのパーツ」はコンパクトではなかったり、極めて限定的な傾向がある。そのため他言語の多くでは、丁寧さの表明において「冗長に多数の語を尽くすこと」が必要となり、同時に「シンプルな表現」に対して礼儀が軽薄あるいは存在していない印象が生じる。
他の言語の多くでは「短い言葉」だけでは丁寧さの印象が無く、やや粗雑な印象となってしまいやすく、実態として失礼な印象を生み出してしまいやすい。しかし日本語では「最低限度の丁寧さをコンパクトに表明できる」ため、短い言葉でも丁寧さな印象を維持しやすい構造性を持つと説明できる。
日本語の文化において「端的な言葉の運用」を常態化させている背景の一つが、その「丁寧さの保証のしやすさ」も大きくかかわっていると推察できる。社会的な情報を提示しやすいことで、その場だけでも最低限の信頼関係を形成しやすく、その信頼関係基づいて、短い言葉を使いやすくなると言える。
そうした日本語の構造性に基づく文化傾向を、他言語の文化の感覚によって評価しようとすると「日本語話者たちが文化的に均質で、基本的に親密な関係を持つから、そのように機能している」かのように想像してしまいやすいと想定できる。それもまた「均質な日本論」の一部になっていると推察できる。
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目次 ◆## 17.構造:日本語の表現的多様性 ●構造的な安全性
日本語では、情報や語彙の共有性が非常に高いことによって、多様な表現が実用されやすい環境を成立させている。特に、多層的な語彙層を併用しやすい構造を持っており、感覚的な表現語、口語に由来する和語、文書に由来する漢語、またその他多様な由来を持つ外来語など、全てが併用される。
特に重要な構造として、日本語では「パーツ単位で安定する文法体系」によって柔軟かつ強靭な構造を持つため、適宜、必要と感じた場合に「同系統の意味を持つ言葉を連ねること・異音の同義語を並列させた多重表現」が実施しやすく、そうしてより安定した情報伝達を容易にしている。
また日本語では「未知を表す語彙」として、[これ/それ/あれ/どれ]の「こそあど体系」という指示代名詞[こ-/そ-/あ-]の中に未知の代名詞[ど-]が含まれていたり、[いくつ/いくら]、[いつ]、[だれ]、[なぜ]、[なに/なん-]など、不定を示す語が端的に揃っていて、それらを通常の語と同じ位置で使える。
日本語の「"不定を示す語"を、通常の語と同じように使える」構造では、特に「文中の分からなかった項目のみを"不定を示す語"に切り替えることによって、未知の部分を明確に指定して確認すること」も可能となる。例えば、英語で疑問を示す場合、通常は「疑問文の構成」を組む必要がある。
そのように、日本語体系はただ「多様な表現を実用できる構造」を持つだけではなく、柔軟かつ強靭な構造に基づいて「未知を確認しやすい構造」を持っている。むしろ「構造的に、未知の部分を直感的に確認しやすいからこそ、多様な表現を実用しやすい環境を成立させている」と推察することができる。
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目次 ◆## 18.構造:日本語の例外的感覚性 ●オノマトペ
日本語では歴史的に、あらゆる表現語を併合させ続けてきたことで、長く文書体系・知識体系が非常に整備されてきた言語文化を有しながら、同時にあらゆるオノマトペを包含し続けており、現代においても多くのオノマトペ表現が常用されている。特に、共有されたオノマトペは極めて高度に機能する。
自然言語の主な傾向として、歴史的に整備されてきた言語体系の多くでは、オノマトペは淘汰されやすい傾向が見られる。これは「言語情報の細分化のために多くの音配列を意味語が占有し、意味語とオノマトペが混濁しやすくなるため、"代表的なオノマトペ"しか残存しにくい」などの背景を推察できる。
例外的に、日本語は、そもそも「あらゆる情報を短い音だけで分割することを前提としない構造」を持つ。日本語は、地理的に多様な言語背景から、あらゆる未知語も包含できる機能が求められ、機能語を骨組みとする文法によって柔軟かつ強靭な構造を持ち、「単語の役割を明示的に外付けできる」。
日本語では「意味語には、主に"意味"だけを担わせる」構造を持っており、意味に応じた自明な役割はある一方で、意味語自体に"文法の構造性を担わせる方式"を弱めている。文法における語の役割や立場は、意味から自明な立場を導く以外にも、「機能語によって明示的に指定すること」ができる。
日本語は「感覚語を含む"あらゆる語彙"を、任意の機能語に基づく明示可能な構造性によって、一般的な文法構造の範疇への併合が可能」となっている。対照的な言語体系、つまり「単語の立場を事前に決める必要がある」場合、未知語は"限定的かつ独立的"にしか運用できないため、感覚語も不自由になる。
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目次 ◆## 19.構造:日本語の感覚語の背景 ●オノマトペの背景
日本語におけるオノマトペの性質を厳密に分析するならば、「和語として存在する語」と「オノマトペとして存在する語」について、それらを厳密に区別することは難しい。日本語では「機能語によって和語化すること」も「オノマトペ体系によってオノマトペ化すること」も可能としている。
日本語のオノマトペには「オノマトペの表現体系」と呼べる、構造パターンがある。この構造を用いることによって、「通常の語彙をオノマトペ表現に落とし込むこと」も可能としている。つまり「現代においてオノマトペとして扱われている語の由来が、オノマトペ以外である可能性」も潜在している。
同時に、日本語では「オノマトペに述語パーツを付与したような、接続性のある和語」も多く存在しており、「元来オノマトペであった言葉が、機能語を使った変形によって脱オノマトペ化され、一般的な単語として定着した可能性」も潜在している。日本語の感覚語は、潜在的に極めて深く広がっている。
また日本語では歴史的に、文書文化において「記録文書」とは別系統で、「日常語・口語」に基づく表現体系が強固に保存・実用され続けていた。結果、高度に整備された現代の日本語でも、その基礎部分に極めて高い純度で「自然言語としての古来の感覚性」の大部分を保存していると推察できる。
日本語の母語話者は、その言語構造から「言葉の音の感覚性」が自然と活性化されやすいと推察でき、分かりやすい音韻に基づく言語知識の学習によって「一般的なオノマトペ」からも感覚を同期させていき、日本語での「直感的なオノマトペの運用」も実用において成立していると推察できる。
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目次 ◆## 20.言語法則:一般的なオノマトペの有効性 ●感覚語の普遍性
非常に重大な"錯誤"として、"オノマトペ"の類は原始的な形質が強い印象によって「幼稚・未熟な表現」として分類されやすく、整備された言語体系ほど、その運用が抑制されやすい。しかし、自然言語は「論理的な根拠」だけに基づいて運用されているわけではないことが容易に見落とされる。
例えば、[かなしい/Sad]という抽象的な語は、数理的な定義によって共有されているわけではなく、通常「共通認識が認められる感覚に基づく概念の表現」として実用されている語である。他にも、[痛み/Pain]は数値によって理解するわけではなく、定義を知らないからといって理解されないわけではない。
人間は自然言語に対して、必ずしも言葉を定義に基づいて理解しているわけではなく、また定義が無いからといって理解できないわけではない。言語が機能するのは根本的に「近似する情報の想起による共通認識の形成」に基づく合意であって、それが、あらゆる言語のあらゆる言葉の有効性の根拠である。
言語において「話者同士において近似する情報を想起させる」のなら、それは十分に有効な言葉であり、それはオノマトペの表現語も同じである。特に、あらゆる言語の「一般的なオノマトペ」は、日常的に使われていることで「一般的な語彙」と同レベルに共有された意味語の一種だと位置づけできる。
広く共有された"一般的なオノマトペ"は「論理的な説明には長大な表現が必要なほど繊細かつ詳細な感覚性を瞬時に伝達できる効率的な表現」として機能する。日本語では、あらゆる表現語を高効率に共有できる構造性によって、その"一般的なオノマトペ"が大量に運用できているだけだと整理できる。
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目次 ◆## 21.構造:日本語の物理的な信頼性 ●音韻の堅牢さ
日本語は、物理的に伝わりやすいシンプルな音韻と、構造的に柔軟かつ強靭な文法によって、多様な表現を臨機応変に使っていても、伝達を比較的成功させやすく、また失敗したとしてもその修正が容易な傾向がある。そのため、実際的に、非常に多彩な表現を直感的かつ瞬間的に使いやすいと言える。
日本語への評価では「シンプルな音韻で音のパターンが限定されやすい」と安易に推察されやすいが、実際は「堅実な音韻によって音韻をより高確率で識別できるために、実際的な音の組み合わせは柔軟に運用しやすい」。そのため、実際は長くない音列であっても、十分な情報の分別を可能としている。
対照的な例として、英語は「極端に複雑な音韻」を持つため理論上は"多様な音のパターンを使える"と予想されやすいが、実用上の発音は個人差が大きく、特に「近似する音韻との物理的な混濁の問題」があるため、実際に使える音の組み合わせはそれほど増えず、情報の分別に長い音列を必要としやすい。
日本語が1~2音の切り替えだけでも意味の広い選択を可能としているのは「1~2音単位で音を聞き取ることがしやすいから」であり、対照的に英語が意味の切り替えに単語の追加や入れ替え、文構造の調整を必要としやすいのは「最小単位の音を信用できないから」であると考察することができる。
音韻の物理的な影響については、情報工学から見れば明快である。工学的な課題として「複雑で繊細な信号は、現実世界だとブレやノイズによって"エラー率が高い/物理的な信頼性が低い"」ため、実践では補正のための補足情報や形式が多く必要になる。そして単純で頑強な信号は、補正が軽微で済む。
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目次 ◆## 22.構造:日本語の表現多様性の基盤 ●略語・新語の共有
日本語では多様な言語表現が実用されており、特に、形式性を必要としないカジュアルな日本語となると、極めてバリエーション豊かな語彙が運用されている。日本語文化の傑出した特長として「略語の一般性」があり、頻出する表現は"その場において識別可能な最小の短い語"へ落とし込んで運用される。
さらに日本語における「略語・略称」は、必ずしも"ローカルなスラング"や"表記に基づく短縮表現"だけとは限らず、一般化した略語は対象の「別称」として機能する。場合によっては、略語自体が中心的に運用されて、本来の語の方が"正式名称という名の別称"という立場になること」もしばしばある。
日本語では、1音1音が独立的に管理された音韻構造を持っていることによって「音列の編集」が容易で略称を創出しやく、また、日本語では「新しい音の組み合わせ」でも音韻上それを認知しやすいことによって、新しい略語でも共有しやすく瞬時に運用できる状態まで成立させやすいと整理できる。
日本語では新語を含め、多様な語や表現が容易に共有されやすいことは、当然、頻出する一般的な表現における通じやすさも良好に成立していると言える。多様な表現が実用できることで、短い表現によって的確に必要な情報を伝達することもしやすく、だから端的な会話が成立しやすいと説明できる。
特にシンプルな音韻体系で「日本語には多くの同音異義語がある」と評せても、実際に使われている音韻的なパターンそのものが決定的に少ないわけではなく、むしろ、強靭な体系に基づいた柔軟性によって、短く多様な語彙や表現を活用して、十分な効率の情報伝達を成立させていると説明できる。
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目次 ◆## 23.構造:日本語の堅牢な共有性 ●運用上の安全性
日本語は、単に"共有されている語が高確率で伝わる"だけではなく、未知の語であっても容易に共有しやすい。日本語の「文法上、既知に基づく情報量を明示的に増やしやすく、未知の輪郭をも容易に把握させやすい自在な構造性」は、「既知の命題の使い方」のみを焦点にあてた分析では評価されえない。
日本語の"柔軟かつ強靭な構造性"では、文章の構造における制約が限定的であるため、例えば「一つの文の中に"語の説明も包含させた状態・全体の説明と用語の説明を一列に並べた状態"で構成すること」さえも容易に可能としている。書記ではさらに、分かりやすくするために補助記号も常用できる。
日本語の構造性は、雑に扱っても壊れないという性質上、技術として分かりやすい表現のために情報の整理技術を必要とするものの、しかし"分かりやすい表現のための情報整理の追求が妨げられること"もない。日本語でも、読みづらい文章になることはしばしばあるが、その問題は安全に修復しやすい。
日本語の構造性には「書記における編集の容易性」も備わっている。構造的に「意味語+機能語」のパーツ単位で独立性が高く、"文法全体に及ぶ法則"などの構造が弱いことで部分単位の編集が全体へ影響を及ぼしにくい。追記・削減をしても文全体は壊れにくく、"再編集"の安全性が非常に高い。
他言語の中には「文における語形の連携」が強固で、文の構成に最初から慎重に組む必要性があり、原則「雑に扱えない」制約を持つ言語もある。また「文法の形式性の強い言語」では文章の再編集が局所的でも全体の文法を変異させる危険性があり、"日本語の整然とした文体"と同等の技術を常に要求する。
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目次 ◆## 24.概観:日本語の構造性の実績 ●学習の公共性
日本語に対して難しさを考察することはできても、しかし、言語や知識を使いこなすこと自体に技術への習熟や能力を必要とすることは、あらゆる言語において共通する現象であり、日本語固有の課題ではない。むしろ"基礎教育"という「知識の継承」の観点において、日本語社会は良好な傾向を持つ。
日本語社会は国際的な比較調査で"平均前後の教育投資額"の中で、高い教育普及率と、調査評価外の文化教育も広く実施しながら、国際的に高い教育成果を達成している。なお日本では制度外学習も多いとも観察されるが、「一般家庭が制度外教育も利用できる環境を成立させている」と整理できる。
制度外学習の豊かさ・公共性は「ローコストで学習・教育が可能なこと」が前提条件にあると説明するべきである。例えば、義務教育中の児童へ教える"家庭教師"では、義務教育直後の一般の高校生・大学生などの教師が多く、これは"基礎教育修了段階で基礎教育の教師になれる経済性"を意味している。
また日本では「通信教育(教材学習)」もインターネット普及以前から盛んであり、それはつまり「テキスト中心の自習用の教材」を作成しやすく、また利用しやすいことを意味しており、その環境を成立させる根底には「基礎的な学習性の安定し、自律的な学習が早い言語体系」が影響していると説明できる。
日本の学習環境は「社会文化において教育や学習に意欲的である」という"精神論"のみによって成立するものではない。特に「基礎的な情報共有にかかる時間」は実際の教育や学習のコストを引き上げる主要因になり、もしも教育や学習に大きな労力やコストがかかるなら、その公共性は物理的に制限される。
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目次 ◆## 25.言語法則:言語の構造的な制約の実例 ●ラテン語
「基礎的な学習にかかるコストによる制限」という観点における顕著な実例として「ラテン語」がある。現代以前のラテン語は極めて膨大な知識体系の文書が保存されており、構造的にも非常に緻密で厳密な情報の整理を可能とする言語体系と評せたにも関わらず、現代以降「過去の遺産」へと成り下がった。
言語に対して「言語体系を完璧に理解していれば、迷うことなく一意な読解を可能とする」という構造性は、必ずしも"人間的にとって一意な読解を容易とするかどうか"を保証せず、また構築や編集が容易であるかどうかも意味しない。細密な運用を必要とする体系は、むしろ基礎的なハードルを引き上げる。
ラテン語の膨大な知識体系に対して、理論上は「強引にでもラテン語の学習をすれば、その知識体系へ直接的にアクセスでき、知識の共有への最短距離の体制を作れたはずだ」と想像できる。だが構造的な複雑さに由来する教育コストや運用コストという巨大な障壁によって非現実的であったと整理できる。
欧州の主要言語には、そうしたラテン語の強固な構造性の思想が部分的かつ適度に継承されており、高度な文書において安定して使える形式性と、一般的に実用しうる水準の容易性を折衷して整備されている。特に、ラテン語の顕著な難点である複雑性を極端に改善した言語の代表例が、現代英語と言える。
ただし現代英語は、文書体系としてシンプルかつ強固な構造を成立させた一方で、シンプルさのために暗示的な構造性を強めており、結局、長い言葉には「全体の語彙の理解」が要求されやすい。また文書体系の安定性を優先した結果、発音体系との整合性を妥協し、基礎学習を極端に難しくしている。
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目次 ◆## 26.言語法則:言語の物理的な性質 ●言語の大原則
根本的な構造として「言葉に対して、共有されている既知の情報に基づいて、おおよそ同じ内容として理解すること」を可能とすることは、あらゆる言語において自然であり当然である。また、それは言語の物理的な限界から「完全な一致」を可能とするものではなく、「実用上の合意」において成立する。
物理的な限界として、異なる人間同士は物理的に異なる存在であり、その神経系が直接的に情報を交換しているわけではなく、また神経系に存在する情報を詳細に確認できるわけではなく、物理的な違いに基づいて、各人が完全に一致する情報を有する確証は実態として存在していないと説明するべきである。
また言葉の役割とは「既知の情報を確認すること」だけではない。言語の役割には「未知の情報を共有すること」が非常に大きく、「未知の情報の共有を既知の中で積み重ねることで、既知の情報の範囲を広げ、より多くの情報共有を成立させること」が、言語体系の基礎的な役割になっていると整理できる。
言語の主要な役割は「広義的な情報伝達」であり、即ち「言語運用の本質とは、他者("現在の自分"以外の存在)にとっての未知を、既知へと変えることである」と定義することも可能であり、しかし「完全な未知だけで既知とすることは不可能」なため、"いかにして未知を既知で組み立てるか"が重要となる。
言語の運用において「未知への対応」は必然であり、根幹であるとさえ言えるにもかかわらず、言語体系に対する評価では「既知の扱い方」を中核としがちであり、「未知の扱いやすさ」の視点が限定的である不均衡が見られ、その視座では「現実における有効性」の大部分を評価できていないと懐疑できる。
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目次 ◆## 27.言語法則:言語の運用領域 ●未知を既知にする道具
本来的に、言語が使われる場面とは、十分に共有された知識体系を持つ高度な場面に限定されるものではない。むしろ、高度な社会環境であれば「知識の共有状態が不十分な他者との言語を介した交流」こそが、非常に大きな割合を占めていると推察できる。「既知の前提」とは、本来非常に狭いと言える。
言語において最も重要な役割が「知らない状態から、必要最低限以上に、知っている状態へと成立させること」であると説明するのであれば、「都市部で多様な出自の人々が協力的に暮らしていること」や「教育成果も安定していること」などの多様な実績が、日本語体系におけるその機能性を傍証している。
しかし、社会環境は「社会・経済・文化」といった"表層的なレイヤー"の影響も条件として働くために、それらの実績において"言語に由来する影響"を分析すること自体が恣意的に回避されやすい。「経済的基盤」は前提条件と言えるものの、だが特に、社会や文化において言語の影響は回避しえない。
物理的に確認できるはずの「社会制度や文化についての継承や再生産は、その大部分が言語を介して成立している」事実は、容易に無視される。通じる言語がなければ、人々は大規模で細密な協力が困難となり、つまり、安定した社会そのものを維持しがたいと考えられるにも関わらず、考察は回避される。
もちろん、例えば"既知の話し言葉における基礎的な情報伝達"では言語ごとの効率に大差がないと調査されている事実などもあるものの、しかし社会規模において、例えば「文字体系に対する基礎的な読解の習得に要する期間」は、使われている書記体系によって大きな違いが見られることも事実である。
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目次 ◆## 28.言語法則:言語体系の慣性 ●影響の重さ
また重大な差異として「経済・社会・文化」といった「人々の暮らし方」のレイヤーは、非常に変動しやすい変数である。これらは、社会環境の変化によって比較的短期間で大転換していく可能性がある。"人間の暮らし方"とは、原因側より「環境要素の上に成立する結果側寄り」の要素であると考察できる。
一方で「言語」は、表層的な単語語彙は移り変わりやすく、また"公用語"などの知識は教育などの環境の上に影響を生み出す「大きな変数」ではあるものの、しかしその根幹の「言語体系の構造性」そのものは「言語の実用性を守るために、"可能な限り堅持される"」ため、構造の変化は厳に抑制される。
特に、言語の体系における"急速な変化"は、理解を断絶させてしまいやすく、意思疎通を妨げることになるため、社会的には抵抗されて実際の影響は限定されやすいと整理できる。よって、言語の体系という要素は、社会文化などに比べて「社会的な変動性は低く、慣性の大きい要素」であると説明できる。
言語の体系は根本的には変動性の低い変数であり、なおかつ社会活動の極めて広範な部分において運用されているという事実を踏まえれば、その影響は、本質的に「非常に根深いものである」と想定できる。言語のみによって全てが決定されるわけではないが、言語の影響を軽視することは妥当性が無い。
言語の性質や運用の実態を整理すれば、「言語体系は"社会や文化に対して影響を与える側ではない"」という考察は、蓋然性を持たない。言語環境が社会や文化から影響を受けることはあっても、"広く運用されている言語体系そのもの"は、むしろ影響を非常に受けにくい構造体だと説明しなければならない。
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目次 ◆## 29.言語比較:評価されない日本語の構造 ●構造的な包容力
日本語では「他言語から、たとえ語順をそのままとしても、正確な意味・ニュアンスさえ守った翻訳をできれば、最低限読解可能な文として成立させることができる」ほどに、柔軟かつ強靭な文法構造を持つ。話者に"異言語の癖"が強く残っていても、日本語の環境では"許容範囲"へと収めやすい。
日本語では"内容の意味語と文法の機能語"という役割を大きく分散させた柔軟かつ強靭な文法構造によって、細かい表現や語彙における「話者の癖」を非常に大きく許容しやすいと推察できる。標準語という「一般的に通じやすい公用の使い方」はあるが、実用においては個人の運用が多様に観察できる。
日本語のこうした「不安定性を抱え込める柔軟性」は、対外的に評価されにくいどころか、その安定性を懐疑されやすい。しかし日本語でも、必要に応じて強固に細密な文章の構築を可能とする機能性があり、理論上ではない実績においても日本語社会では高度な技術が長期的かつ安定して運用されている。
言語比較おける代表的な「画一的かつ既知の命題に基づく評価」において、"運用上の柔軟性"はほとんど評価されない。柔軟性に基づく弾力性による「実用上の安全性」も論じることはできず、「柔軟性に基づく分かりやすい構築の可能性」に至っては「分かりづらさの要因」として安直に軽視されやすい。
日本語の「多様な要素の実用を支える、機能語に基づく柔軟かつ強靭な文法構造」については、その有効性を考察されにくいどころか、日本社会という実績を無視してまで安易に懐疑ばかりされ続け、その成功は安直に「民族性や文化性」へと押し込められて、言語体系は過小評価されていると整理できる。
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目次 ◆## 30.言語比較:日本語の非例外性 ●例外化の不当性
比較に基づく評価とは「客観的に公平」なように見えるものの、実態として「特殊事例に対する評価不可能性」を抱え込む。しかし"特殊な事例"でも、「運用規模において"限定的な例外とは評せない規模"で実用されている」ならば、それを完全な例外とすることは"明らかなバイアス"だと言うべきである。
まず単純に、日本語を例外化しやすい「複数の国の公用語となっていない」という条件による除外は妥当性が無い。それは"言語の規模"自体ではなく、主に「国家間の政治的な歴史」の痕跡を示す現象である。「使われている規模」を注目するなら"国家単位"ではなく、"純粋な運用規模"で見るべきである。
"その言語を主として生活する実社会"の指標として「L1母語話者の総数」を見ると、「官話(中国語の一部),スペイン語,英語,ヒンディー語,ポルトガル語,ベンガル語,ロシア語」の7言語だけが日本語を上回る(世界8位)。その"日常水準の規模"では、"ドイツ語やフランス語は日本語よりも小規模"とも評せる。
もしも「社会規模」を持ち出すのなら、社会経済規模の指標として「言語圏単位で合算したGDPの規模」において「英語,中国語」の2言語のみが日本語を明らかに上回り、"言語圏の経済規模で、スペイン語,フランス語,ドイツ語は日本と近く、ポルトガル語,ロシア語などは日本より小規模"とも評しうる。
また日本語の"L1+L2話者総数"は世界13位程度で、経済規模は話者数で膨張した数値ではなく、「社会が円滑に機能し、経済活動が非常に活発」な"実体"によって巨大な経済を持ち、他にも出版やネット上での生産規模が世界有数である。"規模"を理由に、日本語を"限定的な例外"とすることは不可能である。
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目次 ◆## 31.言語比較:日本語社会の実績 ●不利の克服
日本語の「十分に大きな社会活動と多種多様な場面で実用されている」事実に基づけば、その日本語をもしも"限定的な例外"と見なすなら、日本語と同等かそれ以下の実用規模である世界中の約99%超の言語を"限定的な例外"と見なさなければ論理的な一貫性が無く、研究対象は約1%も残らない。
そして、もしも研究において巨大な事例の中の"ごくわずかな事例"だけを評価するのなら、その研究こそが"極めて閉鎖的で限定された条件下に基づく個別の検証"であり「限定的な研究」に収まるものだと評されるべきである。極めて限定的な条件に基づく研究は、当然として学術的な"一般性"を持たない。
また「言語の地政学」として、現代の地球文明では「英語」こそが膨大な情報が集積される中核的な立場にあり、さらに「恩恵を得やすい英語と近親的な言語」は言語的な互換や習得において有利な立場にあると説明できる中で、日本語はその"言語の地政学"において、特に外周側の極めて不利な立場にある。
日本語は言語体系として"英語から極めて遠い言語"の一つであり、"対照的な構造を持つ言語"である。日本語が英語話者にとって習熟の特に難しい言語の一つであるのと同様に、「日本語話者にとっても、英語は極めて苦労する言語」であり、そして、日本語社会はその"障壁"への対応を強いられ続けている。
日本社会は、英語などの欧州言語を中心とした先進的な情報も、都度、全く異なる構造の日本語へ翻訳しなければ広く扱えない障壁があり、その「言語の地政学の不利による負担」を強いられ続けていながら、しかし日本社会は「国際的な影響力を持つ現代の技術大国の一つ」の立場を掴み維持している。
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目次 ◆## 32.概観:受け皿としての日本語 ●日本のリンガ・フランカ
日本の言語環境は、古来から「盛んな翻訳を必需とした社会環境」にあったと考察できる。日本という地理環境では生活圏の細かい分断によって、生活言語は多様な方言へと分断していたため、役人など"広域での活動をする人々"は、必然的に、人々の方言を翻訳する必要性があったと推察できる。
日本の役人などが用いる「広域用の言語」は、その実務に基づいて「翻訳の受け皿」としての機能性を不可欠とし続けたと推察できる。そして、その「翻訳の受け皿」の構造は、文書文化の輸入に伴う膨大な語彙の流入においても、日本語の体系は壊れず、むしろ構造を強化して享受してみせたと推測できる。
日本語の持つ「明示的な機能語を骨組みとする柔軟かつ強靭な文法構造」は、"翻訳の受け皿"として、極めて理に適った構造性を有する。自国の言葉と同様に、あらゆる地域のあらゆる語彙も、機能語の骨組みの中で直感的かつ直接的な運用を可能とし、また、適宜パーツ単位での翻訳や補足も容易とする。
そして近代以降に整備された公用語も「多様な出身者同士で実用されていた言葉」を基盤として、日本語古来の構造性を維持する形で整備された。現代日本の"外来知識を逐一翻訳して吸収する社会体制"についても、「日本の広域言語における運用原則・当然の慣習」として、歴史的連続性を考察できる。
また日本語文化における「翻訳の習慣」自体は内外の翻訳に限定されていない。日本語では内在する「個人差の大きさ」から日常的にも"言葉を理解する・させる"ための「言い換え」という"ミニマルな翻訳"を現代でも実施しており、それが古代から現代まで、社会一般の情報共有を支えていると言える。
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目次 ◆## 33.概観:原文としての日本語 ●互換の非対称性
専門語から口語、方言を含む、極めて多種多様な表現を自在に運用できる構造を持つ日本語は、その構造上「他言語から日本語への翻訳」のハードルが低いと考察できる一方で、反対に、日本語で実用されている"明示的情報"の範囲でも他言語へと翻訳することのハードルは高い傾向があると考察できる。
特に、「日本語において実用されている有効な情報」には社会的な情報のように、直接的な命題以外が大きく含まれる。社会的な情報に限っても、日本語ほど明示的かつ緻密に表明できる言語は限定的であり、他言語へと翻訳する場合、その"有効な情報"は必然的に大きく削ぎ落されやすい傾向がある。
また日本語は命題的な情報でも、"活用体系"も含め「多様な情報を明示的に組み立てることも可能」で、特に「分かりやすく明示的な表現」では極めて膨大な情報を内包していることもしばしばある。例えば"一般的オノマトペ"は説明が困難なほど詳細な命題的情報を持ち、日本語ではそれが多様にある。
もしも、他言語、特に英語などへ翻訳する場合、「日本語の原文に存在する情報量を最大限保存しようとする場合、1文ごとに膨大な補足情報を付記する必要性」が生まれやすいと考察できる。最も分かりやすい部分として、文書の翻訳では「文字体系の違い」による情報の喪失は確実に発生する。
日本語では構造上「話題において既に自明な情報の省略」をしやすいため、その補完を必要とすると説明されやすい。しかし日本語の原文において、丁寧に十分な情報量を提供している場合であっても、しばしば"日本語側で提示されていた公開情報"までもが「暗示的な情報だ」と錯誤されてしまいやすい。
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目次 ◆## 34.言語法則:自明な情報の確認 ●デフォルト値
言語分析における重大な前提として、"その言語の運用法則に基づいて高確率に明白で、慣れた話者が直感的に判断できる状態"は「十分に安定した意味を有する」と定義しなければならない。その定義の否定は「自然言語が"話者たちの感覚とその合意"に基づいて実用される物理的な根拠」の否定になる。
例えば「辞書的に極めて厳密な定義を持つ言葉」を設定できたとしても、実際にそれが話者の間で実用される時、ほぼ同じ意味で理解される現象を成立させることができなければ"言葉として機能していない"状態であり、相手が情報を復元できないままでは「無効な言葉」で、"無価値な羅列"でしかない。
特に「話者同士の言語運用の慣習に基づく言語ルールにおいて明確な共通認識」は、言語情報として存在していることにしなければならない。この前提の否定は、言語そのものの否定になり、例えば「英語は、単語の役割を記号的に表示していない不明瞭な言語である」といった説明を可能としてしまう。
また現実の会話では解釈に「自明なデフォルト値」が機能する。例えば、[Do it.]だけで「来年に,山で,[Do it.]」の意味は想定されない。自然言語の一般的な運用において「現時点,現在地」は省略されやすいが、特別に場所や時期を示す語彙や話題が無いなら「今,ここで」というデフォルト値で解釈される。
同時に「会話という場面において"話者と相手"の存在は物理的に自明の対象」である。もしもこれを否定する場合、[I]や[You]といった語はその根拠が失われ、都度、明確な定義に基づいて対象を指定しなければ機能しないことになるが、自然な言語運用においては高確率に安定して理解される情報である。
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目次 ◆## 35.言語法則:自明な情報の省略 ●デフォルト値の運用
自然言語の一般的な運用では"省力化の傾向"が存在し、日常の水準では特に「自明な情報を省略する」という強い傾向が存在する。"文法的に省略が困難な部分のある構造"を持つ英語であっても、[I thank you for your help.]とは言わず、主語も対象も削られた[Thanks.]まで短縮されながら機能している。
自然言語の運用において、"省略された情報"であっても「曖昧で不定な情報」であるとは限らず、まして"自由に情報を入れていいスロット"ではない。[Thank you.]の語が[They thank you for wark, there and tomorrrow.]の省略として解釈されることが無いように、補完には"習慣的な優先度"がある。
より厳密に運用の構造を説明するならば「省略したとしても、意図通りの解釈が可能だろうと判断されているからこそ、省略した表現が常用される」のであり、「安定して解釈ができるであろう信頼を前提として、省略が常態化しうる」と説明できる。理解されそうにない場合は通常、詳しく言及される。
もちろん省略された情報について状況によって解釈に迷うケースも存在するものの、しかし「状況によって確実な判断が可能な状況」までも不安定性を疑うことは、その言語の法則性を無視した理解である。例えば「[He/She:その人]は誰を指すのか」を迷う可能性はあっても、確実に迷うわけではない。
また「その言語の法則・慣習を知っていなければ理解が難しい」という視点は、根本的に"知らない状態は言語を共有していないだけ"で、"不安定性"の直接の根拠にはならない。「理解手順の構造的な複雑性」を基準とするなら、言語構造・語彙・慣習への理解を必要とする英語は極めて"不安定"と評せる。
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目次 ◆## 36.言語法則:情報の不安定性の定義 ●評価の条件
自然言語の法則を包含した論理の中において「言語の情報として不安定」という状態とは、「慣れた話者が理知的に整理したとしても意味の解釈が定まりにくい」という状態を指すものとしなければならない。特に「一般的な水準で、高確率に、同じ意味への安定した解釈が可能」なら、不安定とは言えない。
例えば、日本語に対して"同音異義語の多さ"による難しさを論われやすいが、言語問わず一般的に、同音異義語などは「頻出する意味が優先され、判断が難しい事例では語を追加するなど"判別を助ける習慣"が生まれる」、それでも不安定な時は確認が実施されて、実際には"安全な運用"が成立する。
むしろ「同音異義語」は日本語に限った話ではなく、例えば、英語では少なくない「同音異義語」が特に"日常語・基礎語彙"の水準において山積している。英語においては、それらを"語の位置やコロケーションなどに基づいて使い方を限定"して「直感的に判断できる形式で使う」習慣が見られる。
また「意味の広がりによる難しさ」という論点で言えば、「極端に広い多義語」は同音異義語に近い負担を強いる語彙だと説明できる。しかも、英語では"日常語"において単語を使いまわした表現のIdioms(慣用句)やPhrasal Verbs(句動詞)が山積しており、その意味の広さを使い方の慣習で安定させている。
さらに英語の"同字の多義語"は書記上の解釈でも同じ負担を強いる。アルファベットだけでは"1語の異なる意味"を区別して記す手段が通常無いため、判別には全体からの意味の復元を要求する。一方で日本語の書記体系では、多義的な日常語(和語)を"語義別に漢字を割り当てて同音異義語へ分離させた"。
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目次 ◆## 37.言語法則:言葉の安定性 ●錯誤と現実
「同音異義語」や「多義語」は必ずしも混乱を永続的に生み出し続けるわけではなく、これを単純に不安定だと評することは、例えば「発音の変異による別語の合流を含む多数の同音異義語」や「転用によって多岐の意味が併合した多義語」などが散在する日常英語は"著しく不安定だ"と評する解釈である。
「複数の意味が存在すれば必ず混乱し続ける」という予想は、現実的に成立しない。例えば単語の[Apple]の不安定性を疑う人はほとんどいない。しかし、現代の[Apple]は「果物」の名前である他に、それを引用した名前の「会社」も存在するが、これが"不安定"であるとは評されにくい。
例えば、実社会で"同じ名前の人間がいる"場合でも、言語運用の中で解消する方法が形成されやすい。単語も同様であり、単語であれば「特に分かりにくい」場合その単語を控えて、別の言い方などによって実際の混乱は縮小されていく。これは、あらゆる生活言語の自然な傾向として観察できる。
特に日本語においては書記であれば漢字によって意味を明記しやすく、また漢字が無い場合や話し言葉であっても柔軟かつ強靭な構造の文法によって「意味の補足を追加すること」が極めて容易で、判断や理解の難しい語に対して必要に応じて即座に意味の明確化できるために、安全に対処されている。
なお「純粋な音声言語だけでの完全な伝達ができてこそ理想」とする"音声中心主義"の思想は「非文明的な視座」である。人類がより多くの情報の効率的,安定的,長期的な運用のために整備してきた文書体系と連携する表現は"文明的な手段"であり、特にあらゆる広域言語は文書に基づくからこそ安定する。
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目次 ◆## 38.言語比較:明示されている意味の総量 ●表現方法の違い
日本語には「省略的」という印象から「端的で、内容語が少ない」かのような印象によって説明されることもあるが、日本語が多くの省略を可能とするのは「わずかな内容語における意味が十分に自立しやすく情報伝達が機能するからこそ、補完可能な部分の省略をしやすい」のだと説明するべきである。
例えば日本語の「[愛してる]」は、[愛:Love][して-る:Do - Progressive/Stative (Statement/Transmit)]の意味を持ち、つまり「[X doing a state of loving Y.]」に相当する情報量が提示されており、会話中なら、事前情報が無い限り「会話における自明な存在:話者X/相手Y」が自動的に代入される。
一方で、英語の[I love you.]の表現では、内容に"[doing]や[stative]"の表示は存在しない。しかし解釈として「[Love]が位置から"動詞タイプ"と判別され、そこから[Love]の意味を展開する」言語ルールに基づいて、「[I'm doing a state of loving toward you.]」などの展開で理解される。
もしも「解釈されてる意味に対する、表示されている意味の過多」という基準であれば、この事例においては、英語の方がより大きな展開の解釈をしている側になる。日本語は「[愛][してる]から仮想主体スロットと仮想対象スロットが自動で開き」+空スロットへの"自明な補完"しかしていない。
一方、英語の[I love you.]では「"SVO"の情報枠は満たされている」が、その意味の解釈法は明確化されていない。SVOの情報で示された固い意味に基づいて「Vの意味の解釈を展開している状態だ」と分析されるべきである。そして、その展開に語彙知識が無ければ「新規/現在のLove動作」とも錯誤しうる。
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目次 ◆## 39.言語比較:英語における展開の必要性 ●高難易度な解釈
英語では[Love]に限らず、使われ方に応じた「共有観念や定義に基づく意味の展開」が要求される場面は多く、特に日常英語では、限定的な頻出語を使いまわしていることで「使われ方に適した意味合い」に基づいて解釈することが要求されることも珍しくない。この複雑性は、非常に過小評価されやすい。
また、英語では頻出語の多くが「細かい多義性」を内包しており、単語によっては「名詞/動詞/形容詞/その他」の役割に応じて解釈する必要がある。だが英語では、語の役割を明示的に指示する手段が"冠詞/前置詞"など限定的で、多くの場合「語の配置・語順」から類推した後に、意味を解釈する必要がある。
しかし、例えば、英語の長文における「語順の判断」は、語の使われ方に基づく暗黙の性質を分析する必要がある。英語では、これらの構造性が「定義が共有されているから明晰である」という理屈によって、「英語は透明性が高く、明示性が高い状態を成立させている」と説明されてしまいやすい。
また、英語では「"語の配置に従う文法形式"と、それに基づく"単語運用の形式上の制約"」によって、「多義語がどのように意味で使われているのか」を規定する方法として「基礎的な情報を揃えること」がほぼ必需となり、そのため「完結する1文」を標準的な表現となっているだけであると説明できる。
さらに、実際の日常英語においては「不完全な文・フレーズ語」の表現も頻出する。最も初歩的な[Excuse me]のように、表現の「自明な構成と自明な情報」によって意味が容易に判別できる場合は、英語であっても完全文を必須としない。しかし、英語はそれすら"定義"して、"曖昧ではない"と分類していく。
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目次 ◆## 40.言語比較:英語における運用構造 ●日常英語の中身
英語における「文化背景の共通性が低いから明示的な傾向がある」という説明は、語の役割の"非標示性"、英語の"[I love you.]における[Love]"などの意味の展開、単語の組み合わせで意味が飛躍的に展開するPhrasal Verbs(句動詞)の多さなど、「慣習の共通認識に基づく解釈が必須な構造」と衝突している。
特に日常的な英語の水準では、非常に多くの「慣習に基づく表現語」が山積しており、なおかつそれが多くの話者に共有されている。「個別の事例として細かい理解を必須とするIdioms(慣用句)」が広まっていたり、スラングが広域でも通用するようになったりする現象は「言語的な共通性」の高さを支持する。
英語は「言葉の形式性は高い」ため形式的な画一性は比較的高いものの、日常英語では「単語や表現の具体性は乏しいことが多い」。その上で"安定している"と評される理由は、「情報が乏しくても"同じ文脈では具体的な同じ意味で解釈するべき"だと合意して、社会的に"安定していると定義"している」。
あらゆる自然言語は「言葉として意味の伝達が安定する水準を基準として運用されているだけ」であり、なおかつ、「日常水準では余分な労力を省いた、省力的な表現を運用するようになる」が、その方向性は体系によって異なり、英語は「使いやすい語で方向性だけを固めた表現での省力化」と考察できる。
英語は「役割の識別を文法の語順規則に依存する体系で、文法的な画一性は高い」が、しかし「標示は少なく暗黙的で、実際は多くの語や未知語を用いると識別が不安定化しやすい」。そこで日常英語では"限定的な語と表現に傾倒して"、その解釈を"事後的・辞書的に共有して安定させている"と整理できる。
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目次 ◆## 41.言語比較:音韻体系との相互的影響 ●音韻という制約
「日常日本語は、小さいパーツ単位でも個々の意味は十分的確かつ安定して伝達されるからこそ、自明な情報を省略しても通じやすい」のとは対照的に、「日常英語は、役割指名のために形式の欠損は許容されにくいが、形式的な情報量から展開できる"意味語の詳細を省略しても通じやすい"」と整理できる。
この言語戦略の違いは、「音韻体系」も少なからず相互的に影響していると推測できる。日本語は「1音単位で区別しやすい音韻体系」のため、小単位での意味の操作が実用しやすい。一方で、英語は「現実会話では細かい判別が難しい繊細な音韻体系」のため、文の形式性が音韻認識自体の命綱になる。
日常英語は「頻出語それぞれの意味が広い」だけではなく、単純に「聞き取りづらいパターンが多い」ために"語の混濁でさらに混乱する危険性が大きい"。そのため、英語は「簡単なフレーズ語を使うか、強固な形式性を守ることで語の予測性を高めて、雰囲気から語を推定しやすくしている」と整理できる。
英語は、根本的に「発音の統制を諦めた言語」であり、細かい発音は地域差や個人差が"理解困難になるほど"大きいが、「予測しやすい強固な形式性と限定的な表現」によって、発音がズレても「文脈や雰囲気から言葉を推定すること」を標準にしている。ただし、それは広い知識と慣習の理解が必須である。
対照的に、日本語は「音韻を統制した言語」であり、発音の個人差も"均質な音韻識別"の中で安定して区別される。これにより「国外含めどこの出身でも、高確率で同じ音韻の区別の中で認知されやすい」ため、「単語単位でも高確率で通じる」環境が成立し、それに基づいて柔軟な運用を可能としている。
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目次 ◆## 42.言語法則:音韻の本質的な自在性 ●情報工学的な分析
日本語が「文法の形式性は低く、柔軟性が高すぎる」状態でも実用できているのは、「言語的均質性」ではなく、音韻の物理的な安定性によって「単語自体の識別性が極めて高いことによって、小さいパーツ単位から認知でき、そこから解釈がしやすいから」こそ、柔軟性が維持されていると説明できる。
数学的には「音素の区別が多い言語ほど、組み合わせパターンが増えるため、表現力が豊かになるはず」と想像されやすいが、工学的には「音素の区別が細かいほど物理的な安定性が低下し、特に"近似する組み合わせパターン"は混濁を回避するために忌避され、実用できる表現力は、想定ほど増加しない」。
数学的には「音素が少ない言語ほど組み合わせ数も少なく、表現力は乏しいはず」と想像されやすいが、工学的には「音素の区別が疎であれば物理的な安定性が高く、実用できる組み合わせの割合も多く、また"安定性に基づいて音列を伸ばし、パターンを安全に増やしやすい"ため、表現力は豊かにできる」。
"工学的な問題"として、現実の会話では「言葉を認知できなければ、その解釈もできない」。そのため物理的な安定性の低い音韻体系は、「表現を限定化し、予測や推定を簡単にすることで実用できている」と整理できる。そして"表現パターン"が減る分、"詳細な情報"は希薄化しやすいとさえ整理できる。
反対に「認知できれば有効になりうる」。日本語は音素の少ない音韻体系だが、実際に使われる表現は多様で、"社会的な情報"用の表現など「他言語では常用されにくい情報を運ぶ表現」までも常用されている。これは「日本語の"音韻と文法の体系"が多彩な言語化を許容できたから表現が増えた」と言える。
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目次 ◆## 43.言語比較:文化的背景への本当の対応力 ●高文脈的な日常語
英語は「辞書にある語彙」は非常に膨大だが、日常英語において使われる主な語彙は非常に限定的であり、しかも英語は「語形の変化」がやや少ない構造をしており、日常英語の表現力は、主に「便利な単語の組み合わせ」と「単語の方向性に基づく文脈的な意味への展開」で構成されていると説明できる。
日常英語は「簡単な単語中心だから、分かりやすい」とも考察されやすいが、実際は「単語の主な意味だけでは、その意図が理解できない表現」も多く、むしろ「半端に知っている状態ほど、誤解しやすい飛躍的な運用」であり、「学習者にとってはむしろ難解である、"身内ノリの表現"だ」と整理できる。
実態として「本当に文化背景の共通性が低い、国際的な水準の英語」は、"ネイティブな日常英語"とは異なる。国際的な英語では「簡単な単語」のみに依存せず、「文脈依存になりやすい多義的な語の運用を控え、限定的な意味を持つ語を中心とする」ため、「本当に低文脈な表現」が運用されている。
ただし「英語は、未知語があると文法の分析が崩壊しやすい」問題や、「珍しい語は聞き慣れていないため英語では"識別の難易度"が高い」問題、そこから「知らなければ全く理解できない」という論理に基づいて、「英語では簡単な単語こそ、"構造的には"配慮した優しい表現になるジレンマ」が生じる。
"日常水準の英語"は「難しい言葉や表現はあまり使わない・表現力を制約すること」で日常的な運用を成立させている状態で、「限られた表現からの飛躍的な理解、"(解釈の定義によって)形式的に低文脈であり、なおかつ認知的に高文脈な運用"に基づいて、十分な情報伝達を確保している」と整理できる。
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目次 ◆## 44.言語法則:表現力の算定 ●解釈の幅の違い
英語は「辞書上の語数は膨大」だが、日常的な水準の語数は多くなく、「日常会話の大部分の理解に必要な習得単語数」の目安では、英語では約2000~3000語ほどとされる一方、日本語では約3000~5000語以上ともされやすく、なおかつ語の可変性に基づく表現力の上乗せは英語側がやや少ない方である。
仮定として、同程度の文明水準の生活において、日常的に必要とされる"表現するべき内容の総量"に劇的な差異があるとは考えにくい。しかし「使われる語数と語形の変化に基づく、実用される語彙量の概算」には、明らかな格差が見られること。つまり「各語彙が担う内容の量が異なる」と想定できる。
単純な概算として「表現内容の総量=1語彙の意味の幅×実用される語彙量(語形変化含む)」だと仮定すると「表現内容の総量÷実用される語彙量=1語彙の意味の幅」であり、"表現内容の総量が近似する"と仮定すると「実用される語彙量が多いほど1語彙の意味の幅が平均的には狭い」と概算できる。
この概算は非常に雑で、実際の情報の幅や1語の幅のブレなども換算していないが、「日常英語が、語の省略を許容できないほど、端的過ぎると伝わりづらい表現になりやすい」理由と、「日常日本語が、語の省略を許容しやすいほど、端的であっても伝わる表現を構成しやすい」理由を、同時に説明できる。
なお重大な補足として、日本語は「日常的な水準で省略が目立つ」が、省略は"任意"であって必須ではなく、省略しない表現も許容され、また、安全に追加情報を提示できる。一方で、英語も情報の明確化や絞り込みは"構造的に可能"だが、「情報を増やすほど語の関係性を理解する負担が格段に増える」。
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目次 ◆## 45.言語比較:概念の切り分け方の違い ●錯誤の主要因
言語同士における比較や、翻訳などの言語の互換関係において、非常に重要な構造は「何を意味しているか」だけではなく、「何を意味していないか」にも存在する。例えば、日本語の[右]を英語へと翻訳する場合、[right]の語へと直訳されるが、これは日本語の[右]よりも意味範囲が遥かに広い。
英語の[right]には「右」だけではなく「正しさ・正当性」という意味も併存しているため、日本語の「[それは右です]」を直訳すると、「[That's right.]: それは正しい」になる。これは本来「英語側の多義性」に由来する現象のはずが、「日本語は意味を省略しすぎている」印象を生み出すと推察できる。
日本語の[右:みぎ」も複数の使い方はあるが、主に「"位置関係"に由来する表現[the right side.]」だけを標準的な意味としており、英語のように「正当性」に関連する語義では使われない。日本語の[右]は「正当性」を排他する表現が無くても、単体で排他されている。こうしたズレは相互的に存在する。
反対に、日本語の[あし]は「機能的な概念」を中核とする語であり、[leg/foot]を包含しているが、この非対称性についても往々にして「"英語の方が詳細な"、日本語の曖昧な表現」の一例として説明されやすい。「日本語の方が意味の範囲が狭くても、広くても、"曖昧である"と説明することができる」。
特に、日本語でも[もも-thigh,ひざ-knee,ひざうら/ひかがみ-back fo the knee,すね-shin,ふくらはぎ-calf,くるぶし-ankle bone,あしくび-ankle,かかと-heel,あしのこう-top of the foot/instep,あしうら-sole of foot,つちふまず-arch of sole,あしさき-tip of the foot,つまさき-toe]などの語はある。
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目次 ◆## 46.言語法則:日本語への比較評価の不完全性 ●知性の怠慢
日本語において高頻度かつ有効に扱われている要素であっても、「他の言語との比較が難しい」あるいは「論理的な整理が困難」という、"評価軸の不完全性による評価側都合の論理"によって、評価外とされやすく、容易に「不要な情報」あるいは「不安定な情報」などと過小評価されやすいと整理できる。
日本語における「社会的な情報」の濃密さは、他言語との比較が難しいために、「過剰な情報を伝達している」という理解によって"奇妙な風習"のようにさえ評されやすい。また日本語の「一般的なオノマトペ」の高い有効性も、「"論理性の不在"という論理的分析の放棄」によって例外化されやすい。
日本語の特殊な要素に対して「それを厳密に分析する手段が未発達である」という課題としてではなく、それを「分析対象が論理的に未整理で、文明的に未成熟な体系である」というラベルによって、分析すること自体を放棄し、「極東の特殊な文化による限定的な例外」として、評価から除外されやすい。
しかし例えば「言語は他者との間で社会的に運用される現象」であり、社会での言語運用では"社会的な関係性"は本質的に回避できない。英語のように"社会的な情報"の明示性が低い言語であっても、実際の言語運用では「表現に備わる礼節や無礼さ」という観念は自然発生しており、作法が形成されている。
また広く共有された「一般化しているオノマトペ」が"印象の情報の伝達"に極めて有効なのは、あらゆる自然言語に同じであり、日本語では「その運用が体系的に発展した」だけである。より広く考えれば、"痛み"や"悲しみ"など「視認できない感覚に基づく表現」はあらゆる自然言語で普遍的に見られる。
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目次 ◆## 47.構造:日本語の本質的な安定性 ●実体の強さ
日本語は対外的に「省略が多く、曖昧な言語」であるかのように説明されやすい。しかし、情報工学的に考察するなら「省略が多くても十分な伝達が成立しやすい」事実は、本来「省略されていない部分だけで必要な情報量が、伝達できている」という可能性こそ、より強く想定されるべきはずである。
情報工学的に「重要な部分の情報が霧散せずに伝達され、安定した解釈が可能」という前提があるからこそ、「重要部分以外を省略が許容できる」と想定できる。むしろ反対に「"大きな省略があると情報が霧散し、解釈不能になりやすい"からこそ、省略が許容されにくい」と考察するべきである。
日本語は、"音韻と語彙の体系"による非常に安定させやすい伝達伝達と、機能語を骨組みとする文法での「本質的に最小限の情報だけで安定化できる構造」に基づく、「"自明な情報"や"共有済みの情報"などの明白な情報の再三の再提示を省力できる構造」によって、省略の常態化が許容されていると言える。
日本語の省略傾向は「文脈に頼る文化」という"結果論"に基づく傾向ではなく、「外部情報を含めて柔軟に活用しやすい安定した言語体系」という"構造性"に基づいている。また、日本語では必要があれば、補足情報の提示も極めて簡便にできる、安全構造もあるからこそ、積極的な省略を可能としている。
日本語の"情報追加の容易さ"の一例として、日本語では「倒置法も一般的な表現に含まれる」。また「省略をしないこと」も容易に可能であり、必要があれば全ての情報を整然と並べやすく、さらに構造上「全体の説明の途中であっても、部分の説明を挟みながら構成すること」さえも可能としている。
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目次 ◆## 48.構造:日本語における安全性 ●安全な構造
日本語の体系は「文法の骨組みも明示できる構造」で、丁寧な言語表現では「明示される情報量」そのものが多い。この構造性は、不自然な構成や運用について"不自然"な状態として容易に探知しやすく、「不慣れな状態を隠させないこと」で、自然と"聞き手側が配慮の必要性を理解しやすい"と整理できる。
「自然な運用が高難易度で、自然な運用ができていない状態を隠蔽しにくいこと」は、言語の習熟において"非常に高難易度な言語"とも説明できるが、"不親切"なのではなく、実際の運用では「不自然な運用でもコア部分が霧散しにくい」上に「明らかに不自然なら配慮もしやすい」ため、"親切に使える"。
この構造性は、非ネイティブであっても意思疎通の安全性を保ちやすいだけではなく、「不慣れな母語話者、即ち幼児や子供」などにおいても、当然として有効に働く。日本語社会で、一般的な水準から幼少の早い段階で社会的な活動を実現できているのは、この「基礎的な安全構造」の影響だと推察できる。
そして日本語では「全ての要素を明示して丁寧に説明すること」も構造的に可能としている。なお、日本語社会でも「必要な説明への努力をしない話者」はいるものの、それはただの"怠惰"であり、日本語社会でも一般的に"必要な説明"は要求されて、その説明の努力を避ける運用は"稚拙な運用"に他ならない。
日本語社会であっても「活動に必要な情報共有が達成される段階までの説明」には、むしろ積極的な傾向があり、「重大な情報の共有が不十分な状態」は社会的に容認されない。これを怠る状態は単に「多くの人と必要な情報共有をするために高度に発達した日本語の機能性を活用していない」だけである。
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目次 ◆## 49.日本語の応用の広さ ●使い勝手
日本語は「曖昧な言語」であるどころか、むしろ「省略をしても、意味が通じやすいほど、安定した解釈を可能とする意味の伝達を前提として、省略が許容される」と説明されるべきであり、日本語話者は日常的にも、その安定性に頼って会話を実施しているが、"日常英語"にはその安定性が見えない。
日本語は「任意かつ明示的に安定させやすい構造」を持ち、それによって「あらゆる情報を日本語の構造で容易に整理できる」。"語の役割や意味を、予め整備と予習をしておかなければ、実用しづらい(仏語/独語など)・理解しづらい(英語など)"構造とは違い、日本語は日常的かつ直接的に安定化を望める。
日本語はその"柔軟かつ強靭な構造"と、母語話者は"母語で扱えるなら母語の方が楽"という重力によって、「日本語を母語とする話者は、外国語でも、極めて直感的に日本語化しすぎてしまう」とも考察できる。そして、それは「日本語の構造が"あまりに便利すぎる"こと」を傍証している現象だと言える。
「1つの命題に対応する表現の幅」の観点でも、特に英語では比較的限定された表現へと収束しやすく「実体としての表現力が限定的」である一方、日本語では多層的な語彙の実効性と語順の自由度も含め表現を展開しやすく「実体としての表現力が多様」であり、それによって"伝わる表現"へも調整できる。
また「形式的な日本語」の水準では"極めて厳密で明示的な表現"に基づいて文を構築できる。文法構造自体の明示性を含め、構成要素の情報が最大限明示化されるため、特に英語などにおいて顕著な「単語の役割が分からず、全体像が見えない、または歪む」などの"認知上の崩壊"は強固に抑止される。
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目次 ◆## 50.日本語の"自覚的な不完全性" ●言語を信用しない
英語などの「強固な形式性に基づく言語」では、形式性へと完璧に従った状態でなければ、解釈に大きなズレも生じやすく、結果として「非形式的かつ理解できない場合、"文として認めないこと"」を前提としている。しかしそれは「無理解を棚上げした"恣意的で非論理的な評価"」も生み出しやすいと言える。
英語社会で広く見られる現象として「英語が得意そうに見えない相手に対して、それが例え相手が"完全かつ十分なネイティブ"であったとしても、過剰な水準または偏見に基づく判断によって、十分に妥当な内容であっても"不全"とされ、説明などが棄却される」という社会的な問題が実在する。
一方で、日本語でも"無知や偏見に基づく誤った言語への判断"そのものは存在するというべきだが、構造上、日本語は極めて高い柔軟性を前提として「理解できなくても、それが"破綻した文"と断定することは極めて困難」である。やや不自然でも"成立しやすい"ため、安易な棄却は、体系が容認していない。
日本語では、例え"分かりづらい"状態であっても、それだけで"言語として理解不能"の根拠にはならない。特に軽微なミスは「部分的な破綻」に過ぎず、あるいは、それが本当に「破綻」であるかどうかも確定しない。日本語でも"説明が下手"な状態は珍しくないが、その対応は「修正・調整」を主とする。
日本語でも、分かりづらい状態は望ましくなく、また形式的な文書では相当の整備を前提とするが、"一般的な水準"では「積極的な理解・情報共有の共同作業化」が原則化している。しかしだからこそ「理解は言葉の完全性の有無に基づかない・言葉が通じても理解できないことはある」と理解されている。
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目次 ◆## I.●想像:認知リソースという観念に基づく想定
想像●「人間の認知機能」では、先天的また後天的な影響による"個人差"はあったとしても、遺伝子的な近似性から、その素質的な平均地点において"極端な差異"があるとは想定されない。その前提を持つ場合「人間が平時に活用できる認知リソース」そのものも、平均値に格差があるとは想定できない。
想像●「認知リソースの有限性」という前提を採用する場合、「構造的に多くの認知リソースを要求すると強く予想される"低文脈的な作法"」を、常態化・習慣化させる環境は即ち「他の要素へ割り当てできる認知リソースの余裕が縮小している」可能性が、工学的に、極めて強く想定されることになる。
想像●「低文脈的な作法」そのものは、多くの情報が提供されることで"情報の復元"部分における負担を軽減するが、「提供された大量の情報を正しく処理する」部分における負担は残る。むしろ「低文脈的な作法が日常的な環境」とは、"情報の処理に注力する必要性が強い環境"であり、その負担がある。
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目次 ◆### I-A.●想像:認知リソースの運用
想定●例えば、1枚の紙に対して「細かい文字で詳細かつ大量の文章が敷き詰められていて外部情報からの補完を必要としない説明による注意喚起」と「紙の半分を占める大文字で[注意/CAUTION]・[危険/DENGER]と書かれ、残りに主な注意項目だけを列挙した注意喚起」では、その情報処理の負担は異なる。
想定●情報工学的に「詳細でも平坦に敷き詰められた表データ」では「情報を全て認知した上で、それらを正しく情報処理する手順・負担を経た後に、必要な情報を入手できる」。一方で「重要な情報がピックアップされた概観データ」では「整理済みのデータで、必要な情報だけを直接的に入手できる」。
想定●当然"受け取る側の負担"だけではなく"送る側"にも負担があり、「運用・伝達する情報総量」が多いほど負担は増える。そして、情報工学上「全てを送り・受け取る詳細型」と「要点を扱う概観型」で、"情報伝達における認知上の負担の総体はどちらかが軽いか"は、疑いようもなく"概観型"である。
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目次 ◆### I-B.●想像:リスクとのバランス
想定●もちろん、情報運用の中では「"全情報を網羅した"詳細な表データ」のようなスタイルでなければならない状況も存在する。「重要な概観データ」のスタイルでは詳細が不足しやすく、本来必要な情報が抜け落ちてしまうリスクが存在するために、「厳密な状況」においては適切ではない。
想定●しかし、人間の認知機能の限界に基づいて、実際の運用において「詳細な表データ」が存在していても、人間がそこから必要な情報を正しくピックアップできるとも限らない問題があり、「詳細な表データ」は社会的なリスクは回避できても、実用上のリスクを確実に回避できるわけではない。
想定●これらの問題の典型例は「サービス利用規約の実際の運用」である。極めて厳密かつ詳細なデータとして揃えられているが、規約の全てを読み込み網羅して理解しているユーザーは実態として極めて稀、もしくはほぼ皆無である。しかし「社会的なリスク」に基づいて、利用規約にも有効性が存在する。
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目次 ◆### I-C.●想像:認知リソースの配分
想像●「詳細な表データ」と「重要な概観データ」のスタイルの例示は極端な例えではあるが、しかし、日常的な情報共有においても、スタイルの違いに由来する負担の違いは強く想定できる。つまり「より多くの言語化(コード化)をしている低文脈的な作法」は、運用情報負担の大きさが強く想定できる。
想像●もしも「言語の運用」に対して多くの認知リソースが配分されている場合、認知リソースの有限性の想定から「言語運用以外への認知リソースの希薄化」を引き起こす可能性が強く疑われる。特に、意思疎通で"言語運用に注力しなければ成立しない"ような環境では「他に気を回す余裕が少ない」。
想像●この仮定が生み出す状況は、つまり反対に「言語の運用」に対する認知リソースが軽くなるように効率化されている場合、「言語運用以外への認知リソース」に余裕が生まれやすいことになる。要するに「文脈を含む環境情報をより高度に意識しながら言語運用することが容易になる」と想定できる。
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目次 ◆### I-D.●想像:「配慮するための余裕」という工学的な要請
想定●この推論は例えば「ある地域において人々に配慮が多く見られやすい傾向」に対して、「配慮する文化」という説明だけでは根拠が自立しておらず、前提条件として「"配慮をするための余裕"が環境的かつ恒常的に維持される構造性が存在していなければ、工学的に整合しない」とする整理である。
想定●配慮の多さには"社会的な安定性"が一般的に想定されるが、それは前提となりうる重要な要素であっても、それだけでは「個人のリソースの余裕」という水準に十分ではない。工学的には「個人に配慮へ回せる認知リソースの余剰が、恒常的に守られているからこそ常習化できる」と整理される。
想定●工学的な解釈として「言語体系の情報処理によってかかる認知リソースに対する負荷の程度から、言語以外へ配分できる認知リソースの余剰は左右される」と想定され、即ち「言語体系によって発生する情報処理の負担は、周囲環境への意識や配慮のリソース上の根拠を左右する」と導出される。
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目次 ◆#### I-D-A.●想像:単純化モデルの計算
想定●単純化した例えとして。認知リソースに基づく推論は「全体リソースが100として、そこに環境消費や言語消費などがかかり、残りの余剰でオプション消費ができる」という構造にできる。●例えば「環境消費50+言語消費50」となる事例の場合、余剰が0で他に回すことが一切できない状態になる。
想定●単純計算。もしも生存環境が不安定で、より多くのリソースを使う必要のある状態では"環境消費80"などとなり、言語に使えるのは残りの分までで50の負担も賄えず十分な言語運用すら難しい事例になる。●また環境消費50のままでも、反対に言語消費が重い70の事例では同様の言語不全が起きる。
想定●単純計算。もしも言語消費が40なら環境消費が50のままでも余剰が生まれ、オプション消費10が可能になる。しかしもし言語消費50のままオプション10を得るには、より安定して安全な社会で、負担の軽い40の環境が必要になる。●なお言語消費が40でも、環境消費が重く60あると余裕は無くなる。
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目次 ◆#### I-D-B.●想像:言語という不可視な負荷
想定●人間にとって、「慣れた言語の運用」において過大な負荷を感じることはあまりなく、そこにおいて発生している「負荷」は"標準的な圧力"であるために、それを認識することすらできない。また、実際の細かい言語運用は状況によっても柔軟に変化するため、一定の定数ともならない。
想定●しかし「言語運用における構造的に回避されない基本的な負荷」の観点は、言語構造によって増減しうる可能性が高いことを補正理論の中で十分に整理してきた。これらの工学的な推察は即ち「言語自体が、環境情報を認知するための余剰リソースへも、"わずか"かつ恒常的に影響する」と導出される。
想定●つまり言語に基づく工学的な影響は「言語構造が情報伝達上の基礎的な失敗率を変動させ、その適応行動によって生み出される傾向」という予想に加えて、「言語環境における言語運用上の"低負荷・簡便さ"が、さらに"環境情報を多く認知し活用する余剰リソースも生み出している"」と予想される。
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目次 ◆#### I-D-C.●想像:言語による"協力性"への工学的な影響
想像●「高/低文脈文化」の従来推論には"個人主義ほど低文脈に偏る"・"集団主義ほど高文脈に偏る"という想定も存在する。そして、その"地域性"は「周囲を見る余裕の作りやすさ」と「協力的な関係の構築の容易性」という要素によって、工学的な傾向・コストの偏りが発生しうることを想定できる。
想像●つまり、「言語体系に基づく意思疎通の容易性」は他者へ情報が届きやすくなることで"協力的な関係性の構築・維持の容易性/難易度"へも影響を及ぼしやすいと想定でき、さらに「認知リソースの分配の傾向」は"他者を観察し関係を調整できる頻度≒関係維持の容易性"にも影響が及ぶと想定できる。
想像●そして「周囲を見る余裕が乏しい環境ほど人々は個人的な情報運用に注力し、結果、個人的な傾向を観察させやすく」反対に「周囲を見る余裕の多い環境ほど人々は環境的な情報運用も活発化でき、結果、集団的な傾向を観察させやすい」と予想され、「個人/集団主義傾向との相関性」も成立しうる。
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目次 ◆#### I-D-D.●想像:人間は協力する生き物である
想定●ただし人類は協力をしなければ生存自体が困難な生き物である。人類が生存していくためには、協力が"不可能"な水準であっては持続可能性が無い。そもそも、言語そのものが情報共有による協力関係の運用をするための構造体であり、協力コストが非現実的な水準では持続可能性が無い。
想定●実際に実用できている言語体系であれば、それは「協力コストが現実的な水準に収まっている」ということを意味しており、それが協力的活動を不可能とする条件になることはない。しかし言語体系の構造・性質において、「協力に関わるコスト」そのものが全ての言語で一様・一律とは説明できない。
想定●また、たとえ「構造的に運用負荷が重く、"配慮"するための余剰リソースが比較的創出しづらい構造の言語」でも、話者に十二分な余裕があれば"配慮"は表出しうる。個人的な傾向を導きやすい構造の言語だとしても、余裕を持った状態であれば、そこに集団的な傾向は成立する。逆もまた然りである。
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目次 ◆### I-E.●日本語環境への想像
補記●これらの推論からは、ステレオタイプではあるものの、広い観察傾向として「日本人の多くに周囲をよく見ている・配慮が多い」という感想が見られやすいことについてを、「日本で使われている日本語の工学的な安定性」という遠因から、その性質が生み出されやすい可能性が導出される。
補記●厳密には、日本語は、日本の過酷な地理環境「近隣・広域との協力が長期生存の安定に必需な地域」で、特に「情報の高精細さだけを求めて言語処理だけに認知リソースを費やす方式」はコストもリスクも大きく、そこで「安定して的確な言語情報が運搬される構造」が要請されてきたと整理できる。
補記●つまり、"環境消費が極めて重い中で、言語消費を切り詰める方式"への環境圧力が働き、そうした醸成されたローリスクな言語構造を広域言語の基底として採用したことで、現代日本社会はその協力性をさらに広く強めていき、さらに強固な社会構造を築き上げ、その安定性を高めてきたと整理できる。
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目次 ◆## イ.●与太話:"もしも"の想像
与太●「もしも個人として、母語の代わりに言語を一つだけを自動でマスターできる」とされた場合、実用規模に基づいて"英語圏さえあれば英語"が合理的と言える。しかし「もしも"国家Zで使われる主要言語"を自由に1つだけ選べる」のなら、合理性に基づいて"日本国さえあれば日本語"を選べる。
与太●"国家Zでは日本語"は工学的な選択である。●まず"英語"は母語であっても基礎教育に係る基本コストが大きすぎる"エリート特化言語"で公共性がやや弱いため優位性が低く、第二言語に学習させる形が妥当で、英語へ接近する場合でも「英語と近親かつ透明な書記体系を持つ言語」が"次善策"となる。
与太●ただし"日本語"は次善策に大きく反する、最も英語からかけ離れた言語の一つである。●しかし"日本語圏"は「日本国で先進技術の文書が随時整備される言語圏」で、日本語さえ使えれば"他言語の学習コストを払わずに参照できる文献が大量"というメリットから、国家Zの工学的な"最善策"となる。
イ-イ.●与太:知識へのランニングコスト
与太●しかも日本語社会は実証として"標準的なコストで世界上位成果の高効率な教育成果"を観察できる。具体的にも、幼少期の言語学習が日常生活から地続きに進み、特に「制度教育1年目から教科書の実用を実現する」。また、日本さえあれば日本語圏の国家Zは数理などの一般科目の教材も輸入できる。
与太●日本語圏の国家Zでは、単に「教育のコスト・リターンを極めて効率化すること」が望めるだけではなく、日本語圏のメディア・出版産業の大きさの恩恵を得やすい。知識や娯楽などの情報も"国家Zの自国語のまま"、大量に輸入できる。また国家Zが発展すれば、日本国との双方向な関係も期待できる。
与太●国家Zの主要言語を日本語にして"日本語圏"となる場合、想定される最大のデメリットは、"英語との構造的な遠さ"による英語学習の負担が極大化である。●しかし先例の日本国自体が、そのデメリットを抱えてなお先進的な国家の立場を安定して維持している事実が、"日本語の強さ"を傍証している。
イ-ロ.●与太:交流へのランニングコスト
与太●さらに日本語は「個人の会話」においても顕著な堅牢さを有する発音体系と言語構造を持つ。日本で一般的な"標準日本語"に親しんでいれば、その標準日本語を使うだけで、ほぼあらゆる日本語話者と高確率で瞬時に意思疎通が成立しうる。特に、日常水準であれば多少の方言差も問題とはならない。
与太●現代の日本語は、日本国が十分に大きな規模の国土と散逸した都市でありながら、各地域間での共通語に基づく意思疎通が極めて安定する、驚異的な"音韻・発音の安全性"を実証している言語である。国家Zが日本語圏として標準日本語を普及させれば、個人単位の日本国との交流も極めて円滑になる。
与太●日本語の構造的な堅牢さは、Z国内/地域内/家庭内の会話でも当然として機能する。地域差がボトルネックになりづらく、同地域・共同体内なら情報共有が非常に安定し、言語的に未成熟な状態でも機能しやすく、子供の話も聞きやすい。必要に応じて高度な技術分野に適う安全な運用も円滑にできる。
イ-ハ.●与太:前提への疑義について
与太●なお"国家Zが日本語圏になるメリット"は「日本国があれば」の前提も大きいが、しかし"英語のメリット"も「英語圏が機能していれば」の前提で、むしろ"英語圏が機能不全な場合の英語"はコストの重い構造ばかりを抱え込む環境に陥る。日本語には、日本国が無くとも"国内完結のメリット"がある。
与太●環境条件として「運用規模によって"将来的な安全性"の期待度が異なる」という視点、つまり「現代では、"英語圏の主要国家"が落ちぶれても広大な実用規模の慣性に基づいて"英語圏"は持続しうる」と言えるが、しかし、その水準の英語の利便性は"必要な人が必要な分学べば得られる"と言える。
与太●「英語が使われている」のは、"言語体系としての優位性"に基づくものではなく、"極めて広範に使われる言語"という圧倒的なネットワークの広さと、そこへ参加できる前提に強く依存する。●むしろ英語は「音韻体系の不安定性」「正書法の複雑性」や、語彙の分断など、扱うには手間が多すぎる。
イ-ニ.●与太:前提"世界Z"だとしたら
与太●仮定を変更して、"文明産業・既存勢力"の前提を除き「もしも全く新しい地球Z/新しい世界Zにおいて使われる主要言語・主要書記体系を一つだけ神として選べる」とする場合、"英語"は"煩雑な不規則性"や"変異の自然発生を抑止しづらい発音体系"などの負債を、環境メリット無しで背負わされる。
与太●もしも神として世界Zの主要言語を1つだけ設定できるなら、決して容易な環境とは言い難い地理において巨大かつ緊密な協力的社会を構築してみせた"現代の日本語社会の実証"を鑑みれば、工学的に、"堅牢な通信強度と柔軟な発展性の両立する現代日本語"以上の選択肢を探すことは、極めて難しい。
与太●英語の変異を想定するなら「日本語でも、近代技術が無ければ方言など分岐は統制できない」と想定できるが、「現実の日本語は、同語族から多様に分岐した言語環境から(約100年で)音韻を含む共通語の統制を実現した言語」で、むしろ「"同語族の再統合"を現実に実現した実績を持つ言語」である。
イ-ホ.●与太:バイアスへの疑義
与太●「筆者が日本語話者だから日本語を選んでいるのではないか?」とも疑義できるが、しかし"情緒"には基づかず、"工学的に説明可能な構造の分析"と、加えて"実社会における実証的な成果"といった、"事実ベースに基づいた考察"であり、その"実力"を見て、有意な候補になると整理している。
与太●ここでは"日本語文化が、奥ゆかしく、やさしさに満ちていて、わびさびで、思いやりがあり、なおかつ聡明で、理知に富んでいる"などという抒情的な説明はしていない。人間を工学的に想定し、そこに"言語がどのように関わるのか"を考察し、整理した予想から、実態を確認しているだけである。
与太●この論考は"文化に由来する現象"の観念を、"主因"から除外する形で整理しており、同時に"決定論"にも慎重に釘を刺している。人間はあくまでも「環境条件において行動する」だけであり、しかし、言語はその"環境のひとかけら"として明らかに影響することが、工学的に示唆されるのである。
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目次 ◆## 甲.●余談:英語への擁護の可能性について
余談●論考では、極端に英語に対して辛辣な意見がまとまっている。そこには「筆者が英語から構造的にかけ離れた日本語の話者だから」という疑義も可能であるが、しかし"情緒"には基づかず、"工学的に説明できる明らかな構造的短所"を持ち、運用の実態と人間の行動原理を整合させて整理してきた。
余談●つまり「人間は最小の労力を目指す行動原理を持つ」はずであるという一般的な前提と、「英語が"ごく日常的な水準"であっても、その削減量に限度が見られる(≒低文脈的な作法が多く見られる)」現象を整合させるには、「それが最小化した状態である」という論理が工学的に要請されるのである。
余談●しかし英語の「運用上の優位性」を考察するなら、「物理層が実用できる範囲ギリギリ過ぎること」によって、"日常的な運用語彙の単純化(≒頻出語の限定、古くは変化の削減)"や、"文法運用における極めて強い形式性を社会一般水準での常識化"を、成立させているという擁護も不可能ではない。
甲-甲.●余談:驚異的な冗長性規模
余談●英語の言語教育では「文章の"fill-in-the-blank"(穴埋め問題)」が一般的に行われている。「"一部が抜けている文章"という問題に対して、その内容に対応する"選択肢から最も妥当な単語を入れる"」試験問題であり、その方式が詳しい条件の限定を必要とせず、文章と選択肢のみでも成立する。
余談●英語の「穴埋め問題」が一般的に成立する事実は、即ち「文章の文脈から、欠落した単語を高い精度で復元しやすい構造≒高冗長性」の実証と言える。対比として、日本語では自在性が高すぎるため、「穴埋め問題」が成立する条件が極めて限定的で、作問上、条件を絞り込んだ形式でしか成立しない。
余談●英語の「穴埋め問題」の重要性は、単純に「形式性が強い」という意味だけではなく、その形式性の強さが一般的な知識水準の、当然の構造として共有されているからこそ、そうした作問が成立しうるのであり、また同時にそうした作問によって「形式性の強さの継承」を実施していると整理できる。
甲-乙.●余談:驚異的な冗長性に基づく発音変異の容認
余談●英語は、理論においてもShannonによって「テキストベースにおいて半分以上の"重複的な予備情報"が存在する」と分析され、数学的に「単語の予測可能性が著しく高い≒欠損に対する復元可能性が著しく高い」ことが報告されている。それは当然、会話においても、高い水準の冗長性が予測できる。
余談●実際、英語は口語において「著しい発音の変異」が非常に大きく容認されている。一般的な範囲では予測可能性が著しく高い言語体系を持っているため、実際の発音において音素を大きく欠落させながら発音されていても復元可能なことが多く、極端な発音の変異が当然のように実用されている。
余談●この構造の大きな長所は「異なる方言の発音でも同じ言葉を使ってさえいれば、【慣れてしまえば】全く同じ言葉として聞き取れるようになっていくこと」である。使う言葉のパターンが厳格に限定されてることで推測がしやすく、癖の違う発音でも、【どうにか慣れてしまえば】通じるようになる。
甲-丙.●余談:発音の重要性と発音のみの限界
余談●第二言語などとしての英語の学習においては、一般的に「発音の重要性」が注目されやすく、「(※"正しい発音"とも説明される)相手にとって聞き慣れた発音をすること」が非常に重視されやすい。しかし、実際の英語では、"単語の発音の正しさ"より、「文法の正常性」が多くの意味を伝達する。
余談●「相手にとって聞き慣れた発音をすること」は、伝わりやすさにおいて効果はあるものの、しかし実態として「相手がどのような発音を聞き慣れているのか」は不確実である。実際のところ「発音の正当性」は"確実な効果"を持っているわけではない、と整理しなければならない。
余談●英語の運用において「発音の精度を上げること」によって得られる効果には限度があり、それだけを求めても効率性は鈍くなる。"小さい規模の正確性を極限的に引き上げる"よりも、より確実で重要なのは"雰囲気が伝わる発音"で「全体の情報量を増やして推論しやすくすること」だと考察できる。
甲-丁.●余談:補完・習熟の必要性
余談●ただし実態として、英語の持つ情報的な冗長性を実用するためには、十分に高度な習熟は要求される。冗長性を確保するためには、より多くの表現方法を理解しておく必要性があり、また、受け手としてリスニングする際にも「表現パターンの雰囲気」を掴めるようになるには、習熟は必要である。
余談●特に英語のリスニングでは「意識的または無意識的に、文脈を理解して、出現する可能性の高い語彙を想起し、言葉を復元すること」が極めて重要である。特に、実社会での会話ともなれば"ノイズの無い理想的な発話環境"とも限らず、発音の変異も含まれるため"音だけ"では理解不可能である。
余談●英語の構造について、"慣れるまでにかかる時間"が極端に軽いことは意味しておらず、むしろ【慣れなければ全く理解できない(聞き取れない)】というハードルそのものは回避できない。母語話者であろうが「慣れなければ厳しい」からこそ、聞き慣れやすい形式が共有されていると説明している。
甲-戊.●余談:対照的な文明言語
余談●つまり、英語の長所とは「形式性を厳格に統制して、発音の不安定性を包含した構造」で、それにより極めて広い地域でも運用法の同期を強固に統制できていると考察できる。だが、それは「物理層の不安定性という高リスクを不可避として維持し、高コストと高負荷を一般化した構造」と言える。
余談●日本語は対照的に「発音体系を音韻の堅牢さで統制、安定させること」で、十分広い地理・大きい社会・外来含む多くの話者において、共通語に基づく意思疎通のかなりの安全性を実現している。しかしその結果、日常的な水準における"言葉の統制"の必要性・社会的な要請は、非常に弱い。
余談●英語は、高負荷の影響により「日常的な表現から少パターンへ制約され、覚えるべき基本フレーズが限定化されやすく」、基礎的な学習単語数の"数値"は比較的小さい。一方、日本語では表現パターンが抑制されず大量の表現が散在し、「多パターンに対する学習コストが薄いが広大」な環境がある。
乙.●余談:ハイパートップダウン言語・ハイパーボトムアップ言語
余談●工学的な推察として、英語は「言語認識における"予測効果/推測効果"が非常に強い・極めてトップダウン処理の強い言語」だと推測できる。これにより「"知っている話"、既知の領域に対する認知」や「緊密な共同体における認知」では、その予測性によって極めて円滑な処理が望める。
余談●対照的に日本語では、「言語認識の"予測効果/推測効果"がかなり弱い・ボトムアップ処理の強い言語」だと工学的に推察できる。日本語は音韻分類が荒いため多少のブレは認知する必要性もないが、日本語話者には「音韻の十分に大きい変化に対しては、むしろ鋭敏に認知する傾向」を予測できる。
余談●工学的な観点でも、聞こえる音を優先する"ボトムアップ処理"が強くなければ、日本語で運用される"変幻自在な表現パターン"へ対応することは至難と言える。実際、日本語文化では「聞こえた音列に基づいた再現や忠実な文字化をする表現」が非常に多く、"細かく認知できる傾向"を観察できる。
乙-甲●余談:ボトムアップ特化
余談●日本語話者でも"トップダウン処理"自体は存在し、些末なブレに対して認知せず修正することも、しばしばある。ただし「無自覚なトップダウンではなく、音の変異を直接聞き取りながら、認知した音列から妥当な言葉を自覚的・意識的に推測すること」とは、外からでは区別はできない。
余談●特に、日本語は工学的に「事後的な推測に基づく修正」が"極めて容易"と評せる。音韻分類が荒く「"1音"に対する候補が物理的に少ない」ことと、言葉として長い音列が使われやすいため全体として十分な情報も揃いやすく、確率的にも手掛かり的にも"実際の言葉"を極めて推測しやすい。
余談●日本語は、工学的に見ても"ボトムアップ優勢でも運用しやすい"音韻体系・言語体系を成立させており、特に"語順の固定/文頭の宣言/カテゴリ統一"などの工夫に依存する必要性が無い。だからこそ「新奇な表現」も「唐突に必要な情報だけを発する表現」も、高確率で拾い上げることができる。
乙-乙●余談:トップダウン特化
余談●"トップダウン処理"特化の英語話者でも音を全く聞かないわけではなく、「手掛かりとして必要な音」は不可欠である。しかし極めて高い予測可能性によって、"手掛かりとして必要な音"が著しく少ない体系が成立している。特に代表的な事例では"短縮形([I'm][Wanna]など)"として共有されている。
余談●ただし、英語で共有されている代表的な"短縮形"とは、実際の短縮された発音の中でも"短縮表記が許された一部の例外"であり、氷山の一角である。実際には大量の"短縮発音"が散在しており、しかし英語の書記体系では原則"言葉のスペルを維持しなければならない"ため、多くは隠匿されている。
余談●また"トップダウン処理"を必需とする英語において、トップダウンを鍛えない「単語単位での学習」はどれだけ大量に学習しても、"英会話"の理解には全く不十分である。しかも、"単語単位での発音"と"会話中の発音"では著しく異なることも多いために、"慣れるまでろくに理解ができない"。
乙-丙●余談:処理の違いによる不慣れ
余談●ハイパートップダウンな英語と、ハイパーボトムアップな日本語の間における「習慣の違い」は、当然として相互的な理解可能性にも著しい不和を生じさせる。目立つ「語彙体系/文法体系/音韻体系/発音体系」の差異だけではなく、それに由来する無自覚な「習慣の違い」が、困難性を深刻化させる。
余談●英語話者にとって、日常的な日本語は「予告無しに多様な単語が奇襲してくる」ために、"知らない語彙"に限らず、聞き取りに苦労しやすいと推察できる。日本語自体は音韻がシンプルで発音も明瞭で拾いやすい傾向でも、"音を丁寧に拾い上げる習慣が無いために、拾いにくい"と予想できる。
余談●反対に、日本語話者にとって、日常的な英語は「["Like eating a poached egg with chopsticks."](柔らかい卵を箸で食べるような状態)」である。音声の"トップダウン処理"を強める習慣が無いために、"存在しない音列の修正"が機能せずに言葉の認知が難しく、極めて苦手としやすいと整理できる。
乙-丁●余談:文脈依存
余談●なお英語は"形式的な明示性"が強いため、英語話者は平均的に"文脈依存が低い"と解釈をされやすいが、工学的に「会話における言葉の識別に"予測効果/推測効果"への依存が非常に強い傾向」を推測され、つまり"言葉を判別する段階で、無自覚に文脈からの解釈が大きく内在している"と整理できる。
余談●英語の会話では、その工学的な特性から「一般的な"高/低文脈性"(言葉の意味)」と異なる水準の「"どの言葉であるか"の判別段階(言葉の認知)」で、"文脈に基づく予測的認知の処理≒文脈への事実上の依存"が基底にあると推測できる。それ以外に"崩壊した発音を識別できる事実"の説明は難しい。
余談●"認知リソース"の視点では、英語の会話で「言葉の識別の段階に、極端な規模のトップダウン処理での大きな処理作業」の存在が工学的に示唆されることは、つまり「むしろ認知上、それ以上の拡張的な運用が難しいほど、"文脈に基づく理解"を既に運用し尽くしている」可能性さえも説明できる。
乙-戊●余談:錯誤
余談●工学的な分析において、英語は「形式に基づく作法を維持しなければ、言葉の識別自体が難しくなりやすい」と推察され、英語話者にとって「"形式に基づく作法"が無くても通じる」状況は、極端に限定されると推察できる。そして、それは他言語の観察においても無自覚なバイアスを引き起こす。
余談●英語話者は、日本語話者の日常的な会話に対して「"なぜ通じているのか分からない"ほど、言葉を省略し短縮している」と感じやすく、その印象は「(英語圏の基準で考えると)そんな言語運用は、話者たちに極めて均質で親密な関係性に基づく、深い相互理解があるからだ」という誤解を引き起こす。
余談●しかし、日本語社会でも"均質で親密な関係性"が、全域全員に実在しているわけではない。●またそもそも、日本語文化でも「省略的に見える」からといって"情報が全く不十分な状態である"とは限らず、実態としてその全てが本質的な「高文脈性」だけで成立しているわけでもない。
乙-己●余談:リスニングの習得
余談●英語話者は、"日本語の発音を聞き取れない"状態に「発音が早すぎる」と言及する。日本語は確かに"やや早い"が、劇的な早さではない。実態は"日本語にトップダウン処理を助ける目印が目立たず"、知識不足も重なり"予測機能"を使えず、理解が追い付かずに「早すぎて聞き取れない」と感じやすい。
余談●日本語話者は、"英語の発音を聞き取れない"状態に「英語の音韻を受信する力が弱い"だけ"」と思い込んでしまいやすい。特に英語は多様な音韻を使い、日本語話者が細かい音韻を受信する機能が弱いことは事実だが、しかし実際の英語は「受信困難な差異のみで判別しているわけではない」と言える。
余談●どちらにおいても"言葉の知識だけ"では不十分で、重要なのは「その言語で常習化している運用法への習熟」であり、つまり「"実際の言葉"そのものを聞き取り、"言葉の雰囲気"自体を再現するように復唱し、適切な言語感覚を身体化させていくこと」の長期的かつ日常的な訓練が必要だと整理できる。
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